隠れオタでもいいじゃないか

主にPCゲームの二次創作を書かせていただいています。  あとは最近やっているゲームやら読んでいるラノベやらのこととか……。

「それは舞い散る桜のように完全版」2008年10月30日発売

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カテゴリー: 藤浪朋子 SS

  [ 藤浪朋子 SS ]   # 74  <固定リンク>

それはすぐ傍に(28)
 子猫はとても寂しく思いました。少年の傍には自分の居場所が無いと感じたからです。
 胸がずきずきし、涙が零れてきました。
 一人で町をとぼとぼと歩きました。冬の空は子猫の姿を何も言わず見下ろしていました。
 人がたくさんいるところへ行ったのに、だんだんと寂しくなってきました。そこにはまるで自分の居場所が無いかのようでした。
 子猫は家に帰ろうと思い後ろを振り返りましたが、そこで驚くことに気がつきました。子猫は帰り道が分からなくなってしまったのです。
 知らずしらず遠いところまできてしまった子猫は迷子になってしまいました。きょろきょろと辺りを見回しても自分がどこにいるのか分かりませんでした。誰かに尋ねようとしてもみんな無関心に通り過ぎて生きます。
 子猫は必死に歩き回りました。けれどますます迷ってしまうばかりでした。
 どれだけ探したでしょうか、とうとう歩きつかれてその場に座り込んでしまいました。
 声を上げて鳴き続ける子猫に誰も気がつきません。
 一人、また一人と子のこの前を通り過ぎていきます。
 涙は止まることなく溢れてきます。
 そんな子猫の前で足を止める人がいました。
 子猫が泣き顔のまま視線を上げれば、そこにいたのは絵描きの少年でした。冬の寒さにも関わらず汗をびっしょりとかいていました。けれど少年の顔には疲労ではなく安堵の表情しかありませんでした。
 一番でも二番でもなく、順番など関係ありませんでした。自分にとっても、相手にとっても、ただ大切であればそれでよかったのです。
 思わず少年の腕の中に飛び込んでいました。
 迷子だった子猫は、ようやく安心することが出来ました。

     (28)

 校門から見上げる空は生憎の曇天だった。なにをもって生憎なのかはよく分からないが。春や夏ならば晴れがいい天気だと思うが、冬の空ならば雪が降るのが相応しい天気とでも言うのだろうか。まあいい天気などというのは、その個人がそのときの都合で勝手に決め付けるものなので一概にどれがいいなどと定義できないのだが。
 約二十分ほど、そんなどうでもいいことをこの寒空の下で延々と考えながら時間を潰しているのだが。現在の時刻は既に八時十五分を回っている。予鈴が二十分になることを考えるとそろそろ教室に向かわなければ間に合わない。
 というのも昨日の海での会話が発端だった。久々の学校、それもようやく手術をし健康とは言えないまでも病人ではなくなったのだ。これからクラスの中でも馴染まなければならないと考えると非常に緊張してしまう。受験など受かって当たり前の気持ちだったから、今は比べるまでもなく心臓が高鳴っている。足が震え気味なのも寒さのせいでは無いだろう。
つまるところ一人で登校することは出来ても、教室に入る度胸はちっぽけな胸には詰まっていなかったというわけだ。比喩的な意味合いであって、決してスタイル云々の話ではない。
 そういうわけで一緒にドアを潜る相手を待っているのだが。
「遅い……」
 時計を見ながら何度目か分からない呟きを零した。本気で先に行こうかと思った矢先、目の端に特徴的な色が引っかかった。
 ゆらゆらと風にたゆたう髪。にび色の空を背景に映える月の色は、ただそこに居るだけで確かな存在感を見せ付ける。一歩、また一歩と歩調を乱すことなく優雅に――――とは程遠かった。近づくにつれよく分かるが、のんびりしているというか無頓着というか、遅刻ギリギリであるのを気にしているようには見えない。
「ごめーん朋子ちゃん。待った?」
「うん。かなり」
 私が着いてから三十分近く遅れてようやくエリスちゃんがやって来た。詳しい時間は決めていなかったものの、これほどまでに遅くなるとは思っていなかった。
「ごめんね〜。急いだつもりだったんだけど遅くなっちゃった」
 手を合わせて謝るエリスちゃんだったが、私の観察眼が「ダウトッ!!」と声高らかに宣言した。
 まず乱れていない制服、次に整った髪。汗一つかいておらず、上気もしていない肌。整った呼吸。結論――のん気に歩いていました。
「……何時に家出たの?」
「えっと……何時だっけ? 起きたのが七時三十分ぐらいで、それからご飯食べて……」
 うんうんと唸りながら朝のスケジュールを挙げていく。朝食をしっかりとって身だしなみを整え急ぐことなく歩いてくる。それを聞いているとまあ確かにこの時間になるだろう事は想像できた。というかゆっくりしすぎだ。とりあえずあと十分早く起きれば間に合うだろう。
「上倉先生と一緒にこればいいんじゃないの?」
「お兄ちゃんとか〜。でもお兄ちゃんって私を起こすのはいっつもご飯作った後だから。それから急いでも私が食べ終わったらすぐに出ちゃうもん」
 いくつか問題点があるのでは。
「……上倉先生に起こしてもらってるの?」
「そうだけど?」
 それが何か? とでも言いたげな口調。決して優越感などではなくそれが当たり前、しないほうが変だと言うようにエリスちゃんは頷いてみせた。
「前まではお兄ちゃんの布団で寝てたんだけど最近は自分の布団で寝ろって言うんだよ。冷たいと思わない?」
 ……私にどんな答えを期待しているのだろうか?
「ま、まあそろそろ一人で起きられるようになってほしいんじゃないかな?」
「む〜。でもねでもね、その起こし方が酷いんだよ。私が布団に包まって寝てたら、こう布団の端を持ってずばーって。しかもその後ごろごろごろーって転がっちゃったんだよ?」
 テーブルクロスを引くように腕を動かす仕草を見せる。まあ言いたいことは理解できるのだけど。
「随分とエキセントリックな起こし方ね……エリスちゃんも驚いたんじゃない?」
「あっ、なんかそれでも目が覚めなかったらしいの。後になってお兄ちゃんがそう言ってただけだから良く分かんないんだけど」
 ――エキセントリックはそっちか!?
 まあそんな話をしながら廊下を進んでいたのだが、いざ教室の前まで来るとまるで枷でも填められたかのように急に足が重たくなってしまった。
「朋子ちゃん?」
「あ……な、なんでもないから」
 とは言ったものの確実にばれているだろう。登校拒否になる人間の気持ちが良く分かる、
というより私も立派な登校拒否だろう。
 硬くなった身体をほぐすように大きく深呼吸。震える鼓動を押さえつけドアに手を伸ばし――
「早く入ろうよ」
「きゃっ!?」
 背に衝撃。何かを理解する前に身体が前のめりになる。何とか持ちこたえたものの、二歩三歩と蹈鞴を踏んで勢いよく飛び込んでしまった。
「あ、ごめん。そんなに強く押したつもりはなかったんだけど」
 く、これが身体能力の差か……どこまで私の身体は錆び付いているのだ!? ではなく。
「まったく、危ないでしょ。いい? 人の背中を押すのは危険だから止めときなさい。そもそもエリスちゃんは意外と力あって私は人並み以下の体力しかないんだから」
「それはそうだけど、朋子ちゃんがドアの前で止まってるから。もう予鈴なりそうだったし」
 まるで見計らったようにエリスちゃんの言葉に合わせてチャイムが鳴り響いた。確かにギリギリだった。それに遅れてきたのはエリスちゃんだったとしても、私から頼んで待ち合わせたのだ。遅れそうになるのが嫌ならば先に行っていればよかっただけの話。それを棚に上げて怒るのも筋違いだろう。
「まあ、そうね」
 この話はここで終わりにしておこう。
「えー、鳳仙、藤浪。話が終わったのなら席についてくれないかな?」
 思わぬところから割って入った声に驚きの表情を向ければ、そこには困ったような怒ったような、それぞれを足し合わせた笑顔を浮かべた担任が立っていた。加えて私たちに向けられる顔、顔、顔。クラス全員の視線が私たちに向けられていた。あんな騒ぎながら入ってきて、そのままドアの前で突っ立っていたならば注目されるのも当然だけれど。
 羞恥と陰鬱たる気分を抱えながら自分の席に向かう。せめてもの救いは私の席が後列にあることか。
 それにしても厄介なことになってしまった。手術前と後では状況が全く違う現在、私の気分は転校生も同然だった。まさに新たに人間関係を作らなければならないこの状況、むしろ私に対する壁があることを考えると転校生よりも不利かもしれない。そんな中で先ほどのような奇妙ととられる行動で注目されたとなるとますます生活しにくくなるではないか。
「――ところで藤浪」
 同じく自分の席に向かうエリスちゃんを見送りながら、思わず溜息をつきそうになったところで唐突に名を呼ばれた。反射的に顔を向ければ声の主は担任だった。
「手術したんだよな」
「え、はい……」
 意図が理解できず曖昧な返事を返す。
「あまり無理はせずに調子が悪いようだったら友人に助けてもらえよ」
「は、はい……ありがとうございます」
 その瞬間教室がざわついた。
 なぜかクラスの人間が私のことを見ている。そのプレッシャーに思わず気おされそうになってしまった。さらに不思議なことにエリスちゃんは笑顔だったが。
「ん、んん。それじゃあホームルームを始めるぞ――日直」
「きりーつ」
 腑に落ちないまま立ち上がった。


「Time passed quickly, and Tommy became more active every day. In no time class was over.」
「エクセレント、ミス・フジナミ」
 一時間目――英語。
 休んでいたのはそれほど長くなかったため、浦島太郎のようにはならなかった。一応自分でも予習をしていたため楽だったと言えた。若干教師の発音が駄目すぎたのが気になったが。

「ねえ、エリスちゃん?」
「なあに……朋子ちゃん……」
「……どうしたの?」
 授業が終わっても立ち上がろうとしないエリスちゃんに声をかけたのだが、そこにいたのは抜け殻となった人型だった。
「ねえ……朋子ちゃん。朋子ちゃんってずっと休んでたよね? どうしてさっきの授業分かるの?」
「どうしてって、そんなに難しかった?」
「難しかったよ!!」
 半ば逆ギレのような唐突さで声を上げるエリスちゃん。
「あ〜どうして休み前にこんな量の宿題出すのよ〜」
「確かに結構あったけど、このぐらいの内容だったらすぐ終わるんじゃないの?」
 撫子の授業はそれなりに進んでいるけど予習と復習をしていればそれほど苦になるわけではない。
「……エリスちゃん、なんでそんな顔してるの?」
 信じられないものを見る目つきで見られても困るのだが。
「そうだよね……朋子ちゃんはエリート組だったもんね」
「エリート組みって……ちょっとそんな老け込まないでよ。ほら、別にテストがあるわけじゃないんだしそんなに焦らなくても……」
「だって終わらせないと冬休みに補習だよ!? それなのにこんなに難しいなんて……」
 ずーんと擬音とともに沈んでいくエリスちゃん。なんと声をかければいいのか悩んでいると、何かに気がついたようにエリスちゃんが飛び起きた。
「ねえ朋子ちゃん。さっき授業分かったっていってたよね?」
「う、うん」
「だったらさ、教えてくれないかな。宿題」
 暗に写させてといっている笑顔。自分でやらなければ意味が無いんじゃないかと思ったけれど、ちょっと打算が浮かんできたので保留。
「いいけど――」
「いいの!?」
 目をキラキラさせながら迫ってきたエリスちゃんの前に指を一本立てて言う。
「交換条件ね」

「だからさっきの訳は『In no time』で無い時間、つまり時間がかからなかったって意味なの」
「うんうん」
「その次の『over』は超えるよりは終わるの方が近いから。『out』とかも同じような使い方があるから直訳して混乱しないこと」
「なるほど」
「だから訳すと『トミーは日に日に活動的になり、あっという間に授業は終わってしまった』となるわけ」
 説明しながら想う。この文はまさに今の私を示しているのではないか。実を言うと先ほどの授業はあまりに早く終わってしまい驚いた。真面目に聞いていたというのもあるし、意外に簡単だったのもある。しかしより大きなウェイトを占めるのは訳にあるとおりだ。
 全ては気持ちしだい。やるかやらされるか。小さな世界、けれどその小さな世界も自分の想いひとつでこうもありようを変えることを思い知った。
「質問です!! どこから授業という単語が出てきたんですか?」
「この『class』っていうのはクラスって訳すんじゃなくて授業って訳すの。どうしてかっていうと授業は教室で行なうでしょ? だからクラスじゃなくて授業って言うのよ。これもテストに出やすいから注意ね」
「はい先生」
 元気よく頷くエリスちゃんとともに廊下を歩く。
 何をしているかというとさっきの復習兼、宿題のためだ。今の時間は一と二の休み時間なのだが、ちょっとやんちゃをして抜け出してきた。一応クラスメイトには保健室に行くと伝言を頼んである(伝えたのはエリスちゃんだが)ので大丈夫だろう。一応まだ身体が弱いという認識が植えつけられているのであっさり信じてくれるだろう。まあ保健室に行くのは嘘ではないし。
 それにしても私が身体が弱いことをダシにする日が来るとは思っても見なかった。それも隣を歩く少女たちのおかげだ。私には無い強さ、というよりは私が弱すぎたのだが、それでもみんなはすごいと思った。具体的には言えないのだが、生き方というか在り方というか、そういうのが眩しいと思った。
「でも朋子ちゃんってすごいんだね」
「すごい? 私が?」
 丁度思っていたことをそのまま返されてしまった。その根拠が思い至らなず首をかしげる私に恨みがましい視線を向けてくる。
「だって私なんて毎日授業受けてても分かんないのに、学校休んでた朋子ちゃんが授業分かるなんておかしいよ」
 なんだ、そんなことか。
「エリスちゃんだってやれば出来るでしょ? ちゃんとこの学園に入れたんだからテストだって大丈夫よ」
「そうかな……私の場合は推薦だったから」
 勉強のほうは駄目なんだよね、と憂鬱そうな表情を浮かべるエリスちゃん。
「そもそも私は日本にいるんだから英語なんてできなくても問題ないんだし」
「ねえ、その容姿でその台詞はどうかと思うわよ」
 初対面では絶対に英語を使おうかと思うから。
「美術部か……」
 あまり吹聴する様子はないけれど彼女は絵画界期待のホープらしい。みんな(それほど知り合いが居るわけでは無いけれど)が言うには『天才』とのことだ。コンテストに出るたびに賞をさらっていく彼女を皆がそう讃える。そのせいかクラスの人間との間に壁のようなものを感じるのは私の思い過ごしなどではないだろう。良く言えば天真爛漫、悪く言えば自分本位な彼女の性格もそれに一因している。
「でもとりあえず勉強し特に越したことはないと思うけど。将来いつ必要になるか分からないし、それ以前に卒業するためには出来なきゃいけないんだし」
「朋子ちゃんまでお兄ちゃんと同じこと言わなくてもいいのに」
「上倉先生と、一緒?」
「……変なこと想像してないよね?」
「してないってば」
 一緒という言葉に思わず緩みかけた顔を引き締める。正直自分の価値観が同じところにあるというのはいい気分だった。恋人同士が別れる原因となるのは価値観の相違が原因となるところがほとんどだという話を以前見たことがある。別に私が付き合っているわけではないけれど。
 閑話休題。とりあえず今は第一の目的を果たすことにしよう。これ以上考えているとエリスちゃんが不機嫌になりそうだし。
「失礼します」
 軽くノック。続いてエリスちゃんも断りをいれ室内に入る。
 保健室独特の消毒の匂い。慣れ親しんだこの感覚だが、もう慣れてはいけないと思う。
「あれ、藤波さん? どうしたんだい。それに鳳仙さんも」
「やっと手術が終わったので一応報告しようかと」
「私はその朋子ちゃんに連れられてやってきました」
「ああ、そのことか。ちゃんと聞いているよ。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
 ちょっと照れくさい。坂井先生には私の我が侭で随分とお世話になった。仮に私がちゃんと手術を受けていれば坂井先生の仕事が半分になっていたはずだ。
「この前学校に電話が来たからね。今日からまた学校に通うからよろしくお願いします、ってね。それに朝も僕のところへやって来たからね」
「やって来たって、誰がですか?」
「ん? 上倉先生だよ」
「お兄ちゃんが?」
「ああ。エリスと藤浪がお世話になってますって」
 恥ずかしい。これじゃあ完璧に保護者じゃないか。私のことをそこまで考えていてくれるというのは嬉しいけれど素直に喜べない。完全に生徒で妹で子供扱いだ。ものすごく複雑な気分。エリスちゃんは純粋に嬉しそうだけど。
 というより見た目健康優良児のエリスちゃんがそんなに保健室の世話になっているなんて知らなかった。少なくとも私は保健室であったことはない。まあ私がそこまで出席しているわけではないけれど。
「藤浪さんは手術をしたけれどまだ体の弱さは治っていないから、無理をしないように僕からも言っておいてほしいってね。彼には君たちが今日僕のところに尋ねてくるところまでお見通しだったようだね」
「さっすがお兄ちゃん。私のことは何でも知ってるんだね」
「相変わらずだね、鳳仙さんは。校内でそうやって呼ぶと上倉先生に叱られるよ」
「大丈夫ですよ。なんだかんだ言ってお兄ちゃんは喜んでますから」
 これもまた意外、軽口を叩きながら笑顔を浮かべるエリスちゃんを見ながらそう思う。社交的に見えてかなりの内弁慶で人によって対応に差がある彼女がこうも親しげに話すとは。その様子からも結構ここに来ていることが推察される。
「そういえばこんなことも言っていたな。二人が仮病を使って保健室に来るようなら厳しく指導してやってくれって」
「え……?」
「あ……」
 時間は既に次の授業が始まっている。二時間目は……国語か。まあ私は問題ないけれどエリスちゃんはどうなんだろう。
「どうするエリスちゃん」
「うう……お腹が……」
「…………」
 べたべただった。第一保健室でその嘘はどうなんだろう。上倉先生からの注意もあったことだし。確かに授業の途中から教室に入るのは緊張するけれど……そう考えるとなんだか私まで迷ってきた。
「はっはっは。まあどちらにするかゆっくり決めるといいさ」
 言いながら椅子を引っ張り出して私たちの前に置いた。
「いいんですか? 明らかに仮病ですけど」
「僕はただの養護教諭だからね、教師みたいな指導は出来ないよ。ただ一人の大人としての意見を言うと藤浪さんはもう少し楽に生きたほうがいいかな」
 僅かに逡巡したが、結局出された椅子に座ることにした。それに坂井先生の話にも興味があった。
「楽に、ですか……?」
「うん。例えて言うならば今までの君は張り詰めた糸みたいだったからね。いつ切れてもおかしくなさそうだった。ただその糸を何重にもぐるぐる巻きに糸を重ねていって、頑丈にはなったけど逆に枷となって身動きが出来なくなっていたようだけどね」
 枷か。その表現は正鵠を射ているのかもしれない。私は何にも囚われないよう生きているようで、実際は囚われてはいけないという概念に囚われていたんだろう。
「きっとそれを解いてくれたのが上倉先生なんだろうね。けど今の君はちょっと無防備で打たれ弱いところがあるから、もう少し気を緩めてみるのも悪くないんじゃないかな」
 気を緩めるか。言葉にすると簡単そうだけど果たしてそうも簡単に自分の生き方を変えれるだろうか。一応自分の中では変わろうと思ったけれどそれは周囲との協調を考えようといった程度。気を抜いて生きると言われてもどうすればいいんだろうか。
「そんなに難しい顔をしなくてもいいんじゃないかな。要するにたまには考えずに行動してもいいんじゃないかって事だよ。そのあたりは友人たちの付き合いの中で学んでいくといいさ」
「そうそう。朋子ちゃんって融通が利かなさそうだよね」
「気の抜きすぎも悪そうだけどね」
「うぅ……朋子ちゃんが苛めるよ」
 ちょっとムッと来たので反撃。まあムッと来るのは自覚しているからなのだけど。
「要するに極端なのはよくないってことだよ。心にも身体にもね」
 そんな私たちの様子を見ながら坂井先生が言う。その言葉には上倉先生とはまた違った説得力を感じる。
「僕の仕事は君たちが健康で過ごせるようにすることだから、また気軽に来るといいさ」
「そうさせてもらいます」
「朋子ちゃんどこ行くの?」
 椅子から立ち上がる私に不思議そうな声をかけた。
「授業に戻ろうかなって」
「今から戻るの?」
「やっぱりサボるのは良くないからね」
「固いよ〜」
 不満げな口調だけれどエリスちゃんも立ち上がる。交換条件として保健室まで着いてきてくれたけど、多分そんなものなくても来てくれただろう。打算的な部分がなかったわけではないだろうけど、おそらくそれが友人というものだろう。
「失礼しました」
「ありがとうございました」
 先生に礼をして保健室を後にする。
 これから徐々に慣れていって授業を受けるのも退屈になっていくのだろうか。休み時間が待ちどうしくなって、友人と会うために学校に来たりするのだろうか。部活に入ったりもするのだろうか。
「部活か……」
 教室に向かいながら想像する。何一つ決まっていない未来。まだ学校生活は一日目だけど、幸先の良いスタートを切れた気がした。





 ども。今回は比較的早く更新できたかと。まあそれまでに随分と時間かかったんで、ね。
 しかしラブコメになるとか言っておきながら彼は出てきてないからね。まあ坂井先生がいい感じに出せましたけど。上倉先生が兄なら坂井先生は父みたいな感じで。
 とりあえず次はちゃんと出しますんで。





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それはすぐ傍に(27)

                              (27)

「うーーーっ、みーーーーーぃっ!!」
 海――それは生命の源であり、母なる大地の恩恵を享受する我々がそこに安らぎを感じるのは自明のことだ。海だけでなく雄大な山々、広大な空、そこに広がる自然と対峙したとき自分の小ささを、世界の広さを実感することが出来る。
「おっっっきぃーーーーーっ、なぁぁぁーーーーーっ!!」 
 それはあたかも自らの微小の身を痛感させ、同時に身体という檻から解き放たれる救いにも繋がっている。
「ねえねえ朋子ちゃん、可奈先輩どうしちゃったの?」
「……きっと私たちには理解できない深い理由がるのよ」
 他者の目など気にせず心の赴くままに声を張り上げる可奈先輩。おそらく私のような凡人にカテゴライズされる存在では到底理解できはしない高尚な思考が存在するのだろう。
「朋子ちゃん話しかけてみてよ……」
「断るわ」
 生憎私は可奈先輩とは違い一般人なために羞恥心というものが存在するのだ。
「でもみんな私達を交互に見てるよ……?」
「それは困るわね」
 というわけで隣にいた自称保護者に視線を送る。可奈先輩を止めてきて、と。
「いやいや、俺だって御免こうむる。むしろエリス、お前が行ってこいよ」
「えぇーーーっ!? 何で私なの? わ、私よりも朋子ちゃんのほうがいいんじゃないかな? ほら、可奈先輩って朋子ちゃんの尊敬する人なんでしょ?」
「えっと……確かにそうだけど、気後れするというかなんというか……その分先生は可奈先輩のお師匠様なんでしょ? 可愛い弟子の面倒を見るのが筋なんじゃない?」
 互いに牽制しあう三竦み状態。その矛先を間違えた瞬間に残る二人に叩かれるこの緊迫感。全員が笑顔ではあるけれど、その裏には一般人と変人――もとい、独特な思考回路を持つ天才との境目で綱渡りをする危うさを秘めている。
 つまり第三者の目から見ればアレの仲間であると。
「ひーーーろーーーいーーぞーーーっ!!」
 そうしている間にも事態は悪化の一途を辿っている。誰かがやらなければならないが誰もやりたくはない。けれども誰もやらなければいずれ訪れるのは最悪にまで落ち込んだ後の結末。全員が巻き添えをくうのであればいっそ――
「あ〜スッキリした〜♪」
 だが私たちが決断するその直前に可奈先輩はこちらへと駆け寄ってきてしまった。体中のストレスを搾り出したかのようにさわやかな笑顔だがそれを受ける側は正反対、私たちの心情はエリスちゃんがぽつりと呟いた『戻ってきちゃった……』という台詞が如実に表している。結果としてはなんら代わりのないことだけれど、それでもいざその結果が目の前に現れるとどうしようもない疲労感が圧し掛かる。
「あれー、どうしたの? みんなゲッソリしちゃって」
 そんな様子など露知らず、純粋な顔でな疑問を投げかける先輩に思わず苦笑を浮かべてしまう。
 けれども全くといっていいほど嘲笑は浮かんでこないのはやはり可奈先輩の人柄だろう。私も含めた一般大衆であるならば空気が読めない奴として排斥されるのが常なのだが、可奈先輩であればそれを許してしまう(少なくとも私は)雰囲気を作り出す。
「なんでもないですよ。ねえ、先生?」
「ま、萩野に自覚を求めようなんざ俺も思ってないがな」
「そうそう。なんて言っても萩野先輩だし」
「くぬ……なんだか馬鹿にされた気がする……」
 不満げに顔をしかめる可奈先輩だったが、そんな表情も長くは続かず数秒後には次の話題へと移行していた。
「それよりお腹空かない? わたしなんか食べた−い」
「あ、私も私も」
 不思議なもので、さっきまで意識はしていなかったが他人がそう言うと私まで空腹のような気がしてくる。欠伸と同じようなもので伝染でもするのだろうか。
 閑話休題、とりあえず何か買いにいこう。実際朝からほとんど食べていないから胃の中は空に近い。もともと許容量が人よりも少なめなのだ、今まではほとんど動くことなどなかったから一食抜いたところで問題なかったが、退院した今はそれではもたないだろう。
「どうする? どっか食べにでも行くか?」
「それでもいいけど朋子ちゃんは海に来たかったんだよね? だったら公園内にある屋台で何か買ってこようよ」
「さんせー。もちろんお金はセンセーのおごりね」
「奢りって……まあ給料日後だから構わないが……」
 何を食べようかで騒ぎ合う三人だったが、私はその中で場違いな疑問を抱いていた。
「あの……屋台って?」
 予想通り場違いな質問だったようだ。三人揃って不思議そうな顔で私のほうに向き直った。思わずたじろぎそうになったがそこは我慢、おそらく外には私の知らないことは数え切れないほどある。そのたびにいちいち申し訳無さそうにしていては逆に相手に気を使わせてしまう。真崎さん曰く、むしろ当たり前のように聞いたほうがいいとのことだ。
「そういえば朋子ちゃんはここに初めて来たんだっけ」
 思い出したようにエリスちゃんが呟く。
「なら知らなくても当然か。まあさっきも言ったとおりここには結構屋台が出ててな、ヤキソバやらお好み焼きやらクレープやら。他にもドネルケパブとかタコなしのたこ焼きとかな。まあ聞いたことの無いような怪しいもんまでいろいろと出てるんだよ」
「それをいろいろ買ってこよーって言う話だなんだよー」
 なるほど、そいういうことか。確かに今から店に行くよりもそちらのほうが良さそうだ。それに私にとっては『海で』というのが何よりも重要だった。
 海に来るのが今日が初めてなどここにいるみんなに言えはしないが、それでもある程度は察していると思う。わざわざ聞いてこないのは確信しているからか、それとも無頓着からか。まあどちらにしても私にとってはありがたい。とにかく、一番大切なのはこのメンバーで海にこれたということだ。さらに高望みするならば今が夏であることだが、まあそれは次の機会にということで。最初に訪れたのが冬の海というのもなかなか味があるというものだ。それに子供の頃に消化するようにこなす『初めて』を記憶に残る今この瞬間に体験できるのも考え方によっては得をしているといえるだろう。ものすごいプラス思考ではあるが。
「私も、そっちのほうがいいかな」
「それじゃあけってーだね」
「そういうわけで、はい」
「……おいエリス。なにがはい、なんだ?」
 笑顔で手のひらを上倉先生へと向けるエリスちゃんに怪訝な表情を向ける先生。
「なにって、お昼食べるんでしょ?」
「そうそう。お昼食べるんだよ」
 エリスちゃんに並ぶようにして可奈先輩も手を差した。
「お兄ちゃんさっき言ってたじゃない。奢ってやるって」
「誰がお前に買ってやるって言った。今日は藤浪の退院祝いじゃないか。そもそもエリスには小遣いをやっているだろうが」
「だったら私にはくれるの?」
「余計に理由が無いだろ。自分で買え、自分でな」
「ぶーぶー。お兄ちゃんのけちー」
「センセーってば案外小さい人だったんだね……」
「仕方ないですよ。お兄ちゃんってこういう人ですから……」
「朋ちゃんの退院祝いならみんなで祝うのがふつーだよね……」
「それを朋子ちゃんだけにしか奢らないだなんて……」
「だーーーっ!! 分かったよ。ほら、これでなんか買って来い」
「さっすがお兄ちゃん」
「センセーってばカッコイー」
 上倉先生が仕方なさそうにポケットから財布を取り出すや否や、コロッと態度を変える二人。
「ってこんなに貰っていいの!?」
「なんだよ。まさか硬貨だと思ってたのか? さすがに札ぐらい出してやるよ」
「センセーって実は気前良かったんだね〜」
「私も知らなかったな……」
「おいおいエリスまで……どれだけ俺を見くびってたんだ?」
「でもお兄ちゃん。これ五千円札だよ?」
「なっ……ちょ、まてエリス!!」
「待たないよー」
「センセーの分まで買ってくるから期待しててねー」
 逃げるようにして駆け出す二人。完全に話題に乗り遅れた形となった私はその光景を見ているだけだった。
「ほら行こう朋子ちゃん」
「えっ?」
 だから唐突に掴まれた腕にも反応することが出来なかった。
「初めはお好み焼きからだよー」
 背を押され、足がもつれながらもなんとか走り出す。
 話に加われなかったとき、心なしか疎外感を感じた。近くにいるはずなのになんと話しかければよいのか分からなかった。
 きっとそれは私が他者と関わりを持とうとしなかったからだろう。だからいざ自分から話しかけようと思ってもその経験が無いからどうして言いのか分からない。今までは自分の世界に閉じこもった気でいて、話しかけられるのをずっと待っていた。真崎さんや上倉先生、それに今私の手を引いてくれている二人もそうだ。そう考えてみると今まで自分がどれだけ甘えていたのかが良く分かる。
 今の私は赤子も同然だ。一人で歩くことさえままならず、手を引いてもらい背を押してもらい、そうしてようやく一人前のように振舞うことが出来る。それはより大きなコミュニティーに属するとなるとなおさら顕著に現れるだろう。一人輪に加わることが出来ず孤独に過ごす姿が容易に想像できる。
 今の私は恵まれているのだろう。何もせずにこんなにも素晴らしい人たちが周囲にいる。きっと学園でも彼女たちは私を助けてくれるだろう。しかしそれでは駄目なのだ。他人に頼りきっているのでは今までとなんら変わらない。私が私自身の力で一歩踏み出してこそ意味がある。私が歩み寄ってこそ先がある。一人の人間として確固たる自分を確立できなければ私は変わることなど出来ないだろう。
 遅れがちだった足に力を籠める。私に合わせた小走り程度の速度、それでも若干の距離があった。けれど今ようやく並ぶことが出来た。だからだろうか、それとも単に上倉先生から十分に離れたからか、あるいは疲れただけか。二人は勢いを徐々に弱めゆっくりと歩き出した。ただそれだけだったけれど自然と笑顔になっていた。エリスちゃんも可奈先輩も笑顔だった。友人同士でいることがこんなにも楽しいことだとは知らなかった。


「で、随分と遅かったな」
「え、ええっと……お店がすごいたくさんあったから……」
「そうそう。どれを買うかちょーっと迷っちゃって〜」
「もしかして先生、ずっとここで待ってたの?」
「当たり前だろ。しかしこの寒空の中、まさか一時間も待たされるとは思わなかったがな」
 妙に刺々しい台詞だった。というかそれこそ当たり前か。
「で、その量はなんだ?」
「え、ええっと……お店がすごいたくさんあったから……」
「そうそう。どれを買うかちょーっと迷っちゃって〜」
「その言い訳はさっき聞いた」
 流石に私も口を挟めない。というのも単に遅めの昼食を買いに行っただけなのになぜか帰ってきたときには三人で何とか持ちきれる量の食べ物が目の前にあったからだ。ヤキソバやらお好み焼きやらクレープやら。他にもドネルケパブとかタコなしのたこ焼きや初めて聞くような怪しげなものまで、まさに上倉先生が挙げたものを全て取り揃えてきたといわんばかりだ。
「ほ、ほんとはね、何か一つにしようと思ったんだけど……ほら、朋子ちゃんがどれも食べたこと無いって言うからつい……」
「そ、そうそう。だから仕方ないよね。今日はセンセーが朋子ちゃんのお祝いをするって言ったんだから」
「な、何それ!? 私のせいなのっ!?」
 さっきまで楽しい雰囲気だったのにここに来ていきなり責任転嫁!? なんという裏切りだ……
「で、でもね、朋子ちゃんを責めたりしないであげて」
「センセー、朋ちゃんが悪いわけじゃないんだよ? 私たちにも責任があるんだから」
 私は何もしていないはずなのになんだこれは。これじゃあ私を庇っているみたいじゃないか。
「そうか……」
 二人の熱心な言葉に大きく溜息をつく。それと同時に先生の表情も和らいでいく。その様子を見ていたエリスちゃんと可奈先輩も緊張を解き――
「きゃっ」
「あたっ」
 上倉先生の両手が二人の顔面にのばされた。
「まったく白々しい三文芝居を。素直に謝れば許してやろうと思ったものを」
「いたたたたたたたっ!!」
「うきゃーーーーっ!!」
 ぎりぎりとこめかみを締め付けること数十秒、ようやく上倉先生は二人の頭から手を放した。
「というかお前も一緒にいたなら止めろよな」
「あたっ」
 ノックするように頭を小突かれた。
「まったく、仕方ないやつらだ」
 疲れたように言い捨てた先生だったけれどその目は優しく、本当に保護者みたいだった。エリスちゃんという存在がいるからだろうか、私たちは先生にとって生徒であり、同時に妹みたいなものでにあるんだろう。その他大勢の生徒と同一視されないことは嬉しいのだけれど、どこかほんの少しだけ物足りない感じがする。
「まあ買ったものは仕方ない。そのかわりこれが今日の夕食だからな」
「ええーーーっ!? それじゃあ今日はお兄ちゃんのご飯は食べられないの!?」
「んなこと言われてもな、第一お前が買っていたんだろ?」
「それはそうだけど……美味しいのは本当だけどこういうのはここで食べるものだよ? それにお兄ちゃんのご飯のほうが美味しいんだもん」
「そうそう。センセーってばこう見えて料理上手だもんねー」
 先生が料理上手。意外だった、というか知らなかった。
 少しショックだった。私が一番先生のことを知っているとは思わなかったが、どこかで私は先生のことを良く知っていると思い込んでいた。けれど実際良く考えてみれば私より可奈先輩のほうが一年以上も長い付き合いだし、それを言ったら先生の従兄妹であるエリスちゃんのほうが良く知っているに決まっている。
「私も……先生の料理食べてみたいな」
 だから自然とそんなことを言っていた。
「お前もか……まあ今日は無理だけどまた今度な。そのうち萩野と一緒に食べにこい。とりあえず今はこれを食べることが先決だ。ある程度はここで食べるとして……後は萩野も藤浪も分担して持って帰れよ」
「はーい……」
「は〜い」
 若干沈んだ声と高揚した声。いつも食べている身としては残念なことで、食べていないものとしては機会が出来たことに喜んでいるのだろう。
「それにしても珍しいね〜」
「何がだ?」
「いつもの先生なら面倒だー、とか言って断るのに今日は自分から食べにこいだなんて。もしかして朋ちゃんがいるからかな?」
「えっ……」
 思わずもらしてしまった呟き。自然と期待するような眼差しを向けてしまう、が。
「んなわけあるかよ、たまたまだ。それにそろそろクリスマスだからな。そのまえにちょっと試したい料理があったからだよ」
 がっくりと肩を落としてしまう。まあこんなことだろうとは思ったけれど項もあっさりといわれるとは。少しぐらいは含みを持たせてくれてもいいだろう。
「朋子ちゃん、元気出して」
 ポンッと方に置かれる手。俯きがちだった顔を上げればそこに笑顔のエリスちゃんがいた。
「……残念だったね」
 言葉ではそういっているが、顔は笑顔。
「……ちょっと喜んでるんじゃないの?」
「そんなことないよ」
 どう考えても笑顔――いや、それもそうか。私たちはライバルなのだ。友人でもあるけれど譲れないものもある。
 まあ本気で言っているわけではないだろう。その裏には若干の本当が交じっているだろうけれど。
「それじゃあ次は買い物だよー」
「はぁ? まだどっかいくのか?」
「まだって、ここにきただけだよ? センセーってばもしかしてもう疲れたの?」
「んなことない」
「それじゃあ買い物にいこーよ」
 エリスちゃんと顔を見合わせる。お互いに軽く笑いあうと先生と可奈さんの会話に入っていく。
 勝負はこれからだ。
「ねえお兄ちゃん。私は服が見たいな〜」
「私も。私服って全然持ってないから」
 まだ私は歩き始めたばかりだ。手を引いてもらい背を押してもらい、それでようやく人並みになれる。だからこれからだ。学生らしく当たり前の生活をして、そして当たり前のように――
 まずは今日を楽しもう。





 随分時間が空いてしまいました。それも忙しかったから、という言い訳をさせてください。(⊃Д`。)゜
 ええ、更新する時間は有りませんがゲームする時間はあるんです。

 まあこれからはちょくちょくやっていくんで見捨てないでくださいな。

 

 一応朋子さんは退院いたしまして、次回からは学園編です。原作だとそっこーでクリスマス&冬休みなんでチョイ変えます。休みまで一週間ってトコですかね。





 次回はラブコメです☆






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  [ 藤浪朋子 SS ]   # 60  <固定リンク>

それはすぐ傍に(26)
                                (26)


 どこの有名人を送り出すのかと疑うほどの見送りだった。見知った顔がずらりと並ぶのは壮観であり、また感慨深いものを感じる。
 それほど私を追い出したかったのかと皮肉の一つでも言えればいいのだが、今の私にはそんな軽口を叩くほどの余裕すらなかった。ただただ胸を締めるのは感謝の念、ひしひしと感じるのは深憂たる言葉。思い出されるのは笑みのこぼれえる光景であり、暖かさを感じた手のひらだった。けれどもそこから溢れでるものは一つとして言葉にならず、子供みたいに頷くことしかできなかった。

 ようやく、この場所を去る日がやってきた。二桁に達しようかというほどの付き合い、時間に換算すればおよそ今までの人生のうちの半分ほどをこの場所で過ごしたかもしれない。何故だか自然と思い出されてくる光景。あれほど居たくなかったこの場所も、あれほど逃げ込みたかったこの場所も、あと僅かで消え去ってゆく。
 おそらくこの場面に名を与えるとするならば、卒業と言うくだりが最も適切なのだろう。小学校も、中学校も真っ当に過ごさず、卒業などという一区切りを満足に超えることの出来なかった私にとって、この場所こそが一つの学ぶべき場所であった。それは学業だけでなく、人間関係然り、感情の機微などの喜怒哀楽を学ぶ場所でもあった。

 万感たる胸中にゆっくりと思い巡らせる。生涯の別れではない、けれどこの形での対面は二度と叶うまい。
 面識のある人々から祝辞を受けながら挨拶を交わしていく。そうして最後の一人、長年にわたり私の担当を受け持ってくれた真崎さんに向き合う。きっと最後でなければ――最後でなくても言葉は尽きず、時間は過ぎ去っていっただろうから。
「ありがとう、ございました……」
 それ以上適切な言葉はなかったかもしれない。本当にこの人が私のもう一人の母親だった。そういう意味では私は病気のおかげで素晴らしい出会いをすることが出来た。
「本当におめでとう。初めて会ったときはとっても小さかったのに……あれから随分たったのね」
 思えばあの頃の私は可愛げの無い子供だった。今ですらこんな人間なのに、その私がそう思ってしまうなんて尚更だ。無口であり無表情、加えて変に物分りのいい子供。さぞや扱い辛かっただろう。あの頃に出会ったのが真崎さんでなかったら、輪をかけて嫌な人間になっていただろう。
「あの頃は目を離したら消えてしまうと思うくらい儚げだったから、これからどうなるのかって心配してたのよ」
「そんなに、弱そうでしたか?」
「少し違うかしら。見た目は真っ直ぐで、でも頑張って頑張って、何があっても自分の中にしまい込んで、なんとか折れないように張り詰めていたように見えたから。
 あの頃の子供は弱くて頼りないぐらいが丁度いいのよ。でも取り繕って強くあろうとした朋子ちゃんだったから、逆にちょっとしたことで殻ごと折れてしまいそうだったわ。
 何とかしたいと思ったけれど、実習でしか患者さんの相手をしていなかった私にはどうすることも出来なくて、随分悩んだわ」
「…………」
 何と言っていいか、複雑な思いが胸を突いた。私が周囲の重荷になっていることは子供心ながらに理解できていた。だからこそ周囲の迷惑にならぬよう、そして自らが傷つかぬよう努力をしていた。にも関わらず、その努力こそが他人の重荷になっていたなんて。
「そんな困った顔しないの」
 思わず俯きそうになった頭に優しく手を添える。柔らかく、暖かく、慈悲深いこの温もりに何度救われたことだろうか。
「私も、朋子ちゃんも、お互い一緒に成長してるんだから。昔のことを悔やんだってどうにもならないんだから。今だって成長してるのよ? ようやく手術も終わって退院するんだから」
「真崎さん……」
 本当に、いつも私の背を押してくれる。いつだって重荷にならぬよう、優しく手を添えてくれる。
 きっと私は一つの分岐点に差し掛かっているのだろう。病院の中の小さな世界、箱庭の世界から広大に広がる新たな世界。私が逃げ出した辛く、悲しく、僅かな光に満ちた世界。
 今その中間にいる私、この場に居続けたのならずっとぬるま湯につかるような気持ちでいられるのだろう。
 そんな甘ったれた考えが一瞬だけ頭をよぎった。
 もしかしたら、ありえはしないだろうが、以前の私だったら迷っていたかもしれない。いつまでもいられないその世界に閉じこもっていたかもしれない。
 けれど私は知ったのだ。踏み出す大切さを。自らで選ぶ大切さを。
「朋子ちゃんは大丈夫よ。たとえ挫けそうになったって、あんなにも素敵な人たちがいるんですもの」
「はい……」
 これほどまでに素晴らしい舞台が整うことは二度とないだろう。数え切れないほどの時間を共有し、本心で私のことを想ってくれている人たちに背中を押され、真正面からぶつかり合い、笑顔とともに言葉を交わしあい、そしてその手を引いてくれた人たち。
 私にとっての卒業式であり、同時に入学式でもある今日という日に相応しい人たちが傍らにいてくれた。
「ほら、いつまでも待たせちゃだめでしょ?」
 いつも通り、まるで母親が諭すようなその言葉に後ろ髪を引かれる思いだったが、それでも私は笑みを浮かべ振り返った。
 そうして一歩を踏み出す。距離ではなく、枠を超えるために。

「おめでとう、朋子ちゃん」
「退院おめでとー、朋ちゃん」
 満面の笑みとともに私を迎え入れてくれるエリスちゃんと可奈先輩。何の打算もなく、他意もなく、ただ私の退院を祝ってくれている。そのことが私の涙腺を呆気なく緩めていく。
「退院おめでとう。ほら、藤浪」
 飾り気のない口調とさりげなく出された花束。籠められたのは言葉にならない想い、それだけで上倉先生との会話の数々が集約されていた。初めて会ったときから純粋に私のことを思い、どれだけ反発しようと真に私が抱いている悲しみと苦しみを理解し、強引に私の腕を引っ張ってくれた。その優しさと頼もしさがなければ今も私は逃げ続けていただろう。
 堪える暇もなく溢れ出る涙。
「ありがとう……先生、ありがとう…………私、ホント……ありがとう」
 一生分のありがとうを使い果たしてもこの気持ちは伝えきれない。ボロボロと零れだす涙は頬を伝い、地に落ち、それでも絶えることなく瞳を濡らしている。
「朋子ちゃんってば、お兄ちゃんにばっかりお礼言ってるよ」
「ホントだよ。私たちだっているのにね〜」
 揶揄する二人の言葉に思わず笑顔が浮かんでくる。くしゃくしゃになった笑顔、恥ずかしさとともにこうして笑い合える喜びを感じている。
「良かったわね、朋子ちゃん」
 小さく笑いながらの言葉。
「真崎さん……」
「もうここに戻ってきちゃダメよ? あ、でも帰るときに子供を連れて行ってくれるのなら大歓迎だけどね。幸いなことに相手もいるようだし、ね」
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
 最後まで変わらぬその様子に喜びよりも羞恥の思いが胸を占める。
「残念なのはライバルが強敵ってところかしら?」
 その言葉にエリスちゃんと可奈先輩が意味深な笑顔を浮かべる。そして当の本人は全く理解していないようで微笑のままクエスチョンマークを携えている。
「でもまあ、朋子ちゃんならきっと大丈夫よね。素直に自分の気持ちを伝えれるでしょうから。
 小さいころの朋子ちゃんはとっても我が侭だったけど」
「そ、そんなの時候でしょ!? 今更そんなの持ち出さないでよ!!」
 付け加えるような一言にみんなが面白がって続きを促し始めた。困惑しながら、けれど笑いながら、みんなと一緒に盛り上がる。これが私の第一歩目。

 そしてもう一歩、背後から軽く押される感覚。
 数歩よろめいた先にあったのは上倉先生の腕の中。僅か三十センチ、吐息のかかる至近距離で先生と見詰め合っていた。
「えっと……」
 困惑する先生とは逆に私の表情は瞬時に紅潮していた。傍で真崎さんが微笑んでいる姿や、エリスちゃんと可奈先輩が膨れているのが見て取れる。
 まったく、こんなところまで背中を押してくれるなんて。

 今度は自分の意思でもう一歩。
 満面の笑みでその温もりを抱きしめた。この場所を誰にも渡さないかのように決意を籠めて。 













 ついに学園編へ。その前にもうワンクッション。ちょっち切ない雰囲気からどんどん変わってきます。せーつなさとー いとーしさとー こーころづよさと〜〜〜

 はいはい、っと。とりあえず次回はFA更新。個人的には読みきり気分だったこの作品を連載にしときましょう。んでリクSSと。
 なんか最近同人にも参加してみたいな〜という気持ちが出てきました。残念ながら知り合いにそんなことをしている人がいないためどうしようもありませんが。と言うわけで、もし、仮に、無いと思いますが、You一緒にやっちゃいなよ。とお思いの方がいればご一報を☆


某SSサイトさんに習って次回(ではなく更新作)予告>



 目覚めたときに飛び込んできたのは見知らぬ天井。そう考える脳があるというは未だ生きているということなのだろう。
 あれほどのことがありながら死を迎え入れられないなんてなんて悲劇、いっそ助けることなどせずにそのまま逝かせてくれたのならどれだけ良かったのか。個人の命でさえ世界のためと言う大義名分の下に管理され、己が意思すら棄却されるこの空間。やり場の無い思いを抱えながら、その向ける先は己が無力さを呪うだけの弱さ。永遠と自己完結するサイクルを続け怒りを消化する意外に道は無い。
 そう愚痴りながらも自ら死を呼び込むことすら出来ないなんてなんて臆病者だ。
「――起きたのね」
 唐突に発せられたその言葉。思わず必要以上に取り乱しながら横を向けば、そこにいたのは常と変わらぬ彼女の姿だった。
 手には文庫本を携えたまま、機械的な動作で一瞬だけこちらに目をやった。
























 エヴ○じゃねえからなーーーーーーーーー!!

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  [ 藤浪朋子 SS ]   # 56  <固定リンク>

ホントのところ
 ――――パンドラの箱
 それはゼウスがパンドラに持たせた一つの箱、あるいは壷。そこに詰まっていたのはあらゆる災い。そして最後に残ったのは希望といわれている。
 現在では隠喩として主に開けてはならない箱、明かしてはならない物事を指し示す。


 …………思わずそんな神話的な解説が頭の中に浮かんできた。

 危ない危ない、ちょっと意識が飛んでいた。これはたぶんあれだ、恐らく本能の防衛機能の一種だろう。見たくは無いもの、見てはいけないものを無意識に追い出し自己の平静を保とうとする。うん、これは決して悪いことでは無いだろう。
 確かに現実から逃避することがあまり良いと言うことはできないだろう。しかしだ、一概に悪いと断言するできないのではないだろうか。
 少し考えてもみて欲しい。もし現実を全て受け入れなければならなかったとしたら、人はその重荷に耐え切れず崩れ落ちてしまうのではないか。人の心に巣くう暗い闇。常に動き続ける社会の波。夢を追うことさえ罪とされ、他人に希望を与えることさえできない。
 そんなものは日々という靄の中をさまよい続ける罪人のようではないか。重い足かせをつけ、悲しみや苦しみを背負い日々を痛みとともに歩んで行く。
 だからこそ人は空想の世界へと足を踏み入れるのだろう。騒がしい喧騒を忘却のかなたへ押しやって、病んだ心を癒すため虚構の世界や空想の空間、あるいは純粋な理想の世界を目指すのではないだろうか。
 ある者は将来の夢を抱き、またある者は童心に帰る。そうして安らぎの一時や明日への活力を得るのではないか。
 だからたとえ私が、一応この撫子学園の中で成績優秀、とりあえず品行方正で通っており、客観的に見てもそれなりに顔立ちの良い藤浪朋子がこの現状を受け入れられず、少々思考というものを放棄してしまったとしても、誰にも責めることなどできやしないだろう。


 延々と自己防衛の言葉を頭の中で繰り返し、天井を仰ぎながら大きく息を吸い、そして吐き出す。
 心の準備を終え、ゆっくりと慎重に、まるでゴーゴンの姿を盗み見るかのように恐るおそる手元へと視線を落とした。
 美術準備室の一角、何故か丁寧に梱包されたダンボールに埋葬されていたその物体。
ああ、なんということだろう。やはり神など偶像の産物。無常にも視界に入れずとも手に取った感覚でそこにあるのが分かってしまう。暖かな毛並みとそれに不釣合いな合成樹脂のひんやりとした感触。加えてほっそりとした毛並みを持つ物体。
 今世間で話題のアレがここにある。

「……………………ネコミミ」

 ――用途不明の物体が大切に保管されていた。 


                           ホントのところ
                  〜 Nonchalant happiness 〜

  実際に目にするのは初めてだが、これがどういうものかはなんとなく理解はできる。あくまでなんとなくだが。
ぱっと見ではチープな玩具に見えるこの物体。けれど良く見れば作りは丁寧であることが分かる。
 猫の『耳』に当たる部分には柔軟性があり、まるで本物のような柔らかさを持っている。普段から猫に触り慣れているこの私が触っても勘違いしそうなほど違和感が無い。毛並みも綺麗に生え揃っており、唯一の違いといえば本物のように動かないというところぐらいだろうか。
 『尻尾』に当たる部分は恐らく針金のようなものが入っているのだろう。ちゃんと筋が通っているように綺麗な形を保っている。不自然な曲がり方をしているわけではなく、しなやかな曲線を描いている。正直この尻尾だけが物陰から見えていたら本物の猫だと勘違いしてしまうだろう。
 それらの物体には体に装着するだろう部位が存在している。
 以上のことから考えられること。
 つまりこの用途不明の物体は、いわゆるコスプレと呼ばれるジャンルのものなのだろう。それも本格的な。
 残念ながら私にはこのような知識が存在しないため相場が分からないが、それでも『これ』が念入りに作られており、なおかつ結構な値が掛かっていることぐらいは想像できる。
 問題はそれが何故美術準備室に、しかも大切に保存されているのだろうか、ということだ。
 『これ』があったのは美術準備室にある職員用の机の脇、授業で使う教材に混じって保管されていた。つまりこの物体が誰の所持品であるかということも明白である。
 言わずもがな。美術教科の担当教諭であり、なおかつ美術部顧問でこの部屋の使用者である上倉浩樹先生である。

 どれほど立ち尽くしていただろうか。私はようやく長い硬直から解き放たれ、オイルの切れたロボットのようにゆっくり動き出すことができた。
 それにしても浩樹――いやいや、上倉先生だ。学校では浩樹ではなく上倉先生と呼ぶ約束だ。そうしないといろいろと厄介なのだ。この前だって食堂で――話が横道に逸れてしまった。閑話休題、兎に角あの人がこんなものを持っているとは青天の霹靂にも程がある。この衝撃度はランクで言えば火サスで開始直後に犯行現場を見てしまった家政婦と同じぐらいだ。
 そのくらいのショックが私を襲ったのだ。背後に雷が落ちたってなんら不思議では無い。本当なら私だってこんなこと知りたくはなかった。今日だって美術室に部活で使うための筆や絵の具を取りに来ただけだ。
 冬休み明けから美術部に入部しもう一ヶ月だ。そろそろ本格的に何か書いてみようという話をしたのが昨日。その流れで上倉先生が昔使っていた道具を譲ってもらうことになったのだ。本来ならば上倉先生と一緒に来るはずだったのだが、いざ美術室へというところで上倉先生に来客があったため、待っているのも不自然だろうと仕方なく私だけ先に来ていたのだ。
別に何の他意もなく単に時間を潰すため、それ以外の理由を無理やり挙げるならば純粋にどんな絵が置いてあるのか興味があっただけだ。まあちょっとは先生がいつもいる場所を見ておこうとかな、と思ったけれど。
 そうして何気なく準備室を見て回っていただけなのに。
 ――それがこんなことになるなんて。
  
 私を包む脱力感とやるせなさ。この言葉にし難い悲しみをどう表現すればいいのだろうか。上手く言い表すことができないが、それでも近い言葉を上げさせてもらうならば、愛読する少女漫画をふた周り以上歳の離れたおっさんが真剣に読んでいるのを見たとき、と表現するべきだろうか。
 直球勝負で行かせてもらうと、婚約者の悲しい性癖を見てしまったときだ。
 思いっきりベタなベッドの下にあるとか、木を隠すなら〜といったように本棚に紛れこませてあるならまだいい。しかし汚れがつかないように梱包して、同時に衝撃から守るために綿のクッションを用意。加えてその上から紙袋をかぶせさらに気泡緩衝材――通称プチプチで保護。最後にダンボールで大切に保管という徹底振りだ。正直痛すぎる。
 こんなこと、一生知りたくはなかった。

 しかし改めて確認してみると『これ』には何度か使用された形跡がある。装着部には何度か止めた形跡があるし、尻尾にも撫で回したような痕跡が残っている。だからといって汚れや痛みがあるというわけではなく、『これ』が丁寧に扱われているということをより一層際立たせている。
 …………扱われている?
 そうだ。使用した形跡があるということは当然誰かが着けていたということだ。

 ――ではいったい誰が?

 そう考えたとき自然と頭の中に浮かび上がった光景があった。
 

 放課後の美術室。夕暮れの部屋で呼び出した美術部員の女生徒と二人きりでいる上倉先生。授業の話をしながら流れで女生徒にモデルになってくれと頼む。了承したところでさりげなく女生徒にネコミミを着けさせようとする上倉先生。

(上)「さあ、これを着けるんだ」
(女)「駄目です。恥ずかしくてできません」
(上)「何を言っているんだ。君はモデルの役割を引き受けたんだろ? だったら言うことを聞かなければ駄目じゃないか」
(女)「でもこんな格好をするなんて……」
(上)「大丈夫さ。ほら、鏡を見てごらん? こんなにも似合っているじゃないか」
(女)「あぅ…………」
(上)「とっても可愛いよ。――それじゃあこの服も着てみようか。きっと君の魅力が引き立つと思うんだ」
(女)「……それってメイドさんの、ですよね?」
(上)「ああ。君にぴったりだと思うよ。きっとこれを着た君はより一層可愛らしく見えるだろうね」
(女)「わ、分かりました……。ちょっと待っててくださいね」
(上)「おっと、どこへ行くんだい? ここで着替えるんだよ」
(女)「えっ、でも……上倉先生が見ていますし……。それにどうしてスケッチの準備をしているんですか……?」
(上)「決まっているだろう? 君の美しい姿を描くためだよ。ありのままの君から着飾った君まで。俺がその全てを描いてあげるよ」
(女)「先生……」
(上)「潤んだ瞳も綺麗だね。――それじゃあ後は俺に任せてごらん?」
(女)「――――はい」

「わああああああああああああああああああぁぁぁっ!!」
 堪えきれず机に拳を叩きつけた。
 部屋中に反響する衝撃音、同時に机の上に置かれていた資料が花吹雪のように勢いよく舞い上がる。宙に飛び散った大量の紙は羽毛のようにゆっくりと落ちてくる。しかしそんな光景に目を取られている余裕なんてありはしない。
「いったいどうすれば……」
 紙が床と触れ合う音だけが部屋にその存在を示す中、私の小さな呟きは自問のように掻き消えていく。もっとも誰かいたとしても私の問いに答えられる人物などいるはずがない。つまり 今の私は孤立無援、どうしようもない窮地だって一人で乗り切らなければならない。
「クールよ、クールになりなさい、藤浪朋子。あなたはどんな危機だって乗り越えてきたじゃない」
 酸素を脳に取り込み平常心を心がける。大丈夫だ、私はやれる。

 今の私を支えるのは過去に裏打ちされた自信。義妹に美女に寡黙少女。偉大なメイドさんに尊敬する身体がちょっと小さめの可愛らしい先輩。あっ、幼馴染は除外で。あれは初めからランク外、枠すら用意されていないからもーまんたい。
 そんなライバルがひしめき合う戦地の最前線。ルール無用の情け容赦なし。あるときは共謀しまたあるときは簡単に裏切り放り出す。騙し騙され他者を蹴落とし、弱肉強食のバトルロワイヤルを勝ち抜いた私に与えられた称号は『婚約者』。
 そんな私が弱気になってはいけない。揺らいでもいけない。まして諦めるなんて、それこそ退いていった彼女たちに失礼だ。諦めてはそこで試合終了だとおっしゃった先人の志を忘れたのか。
 俯いていた顔を持ち上げる。
 零れたミルクは戻らない。過去を嘆くなんて馬鹿らしい。ならば私の選ぶ道はただ1つ。大きく息を吸い――吐く。心を落ち着け、全身全霊を籠めて『それ』に手を伸ばす。
 ここから私の新たな挑戦が始まるのだ。


                          *     *     *


「ついにやってしまった……」
 思わず口から出た言葉だがそれは決して悲観的ではない。ほどよい疲労感と心地よい高揚感。ようやく私も新たなステージに上がってきたのかというある種の達成感さえ感じる。コスプレの極意と言うべき魂が、乾いた砂漠に落とされた水滴のように見るまもなく染み渡っていく。
 身も心も軽くなり、ふわふわとした気分で鏡の前に立つ。そのままステップを踏み一回転。スカートがふわりと花弁のように広がり、名残りを残すかのようにゆっくりと閉じていく。連動するようにゆらゆらと動くアクセント。同時に頭の上につけられた飾りもその存在を主張するかのように可愛らしく動く。
 ――――完璧だ。
 誰が見てもその着こなしには感嘆せざるをえないだろう。
 私の頭につけられた『それ』――ネコミミとその付属品である尻尾は見事に私の体に馴染んでいる。主観による贔屓目などではなく本当に似合っていた。ナルシストなんかではないが、思わず自分自身に惜しみない拍手を送ってやりたくなるほどだ。まさに私のために作ったのではないかと錯覚を起こしてしまう。
「――いやいや、現状で甘んじていたら駄目だ」
 向上心の無いやつは馬鹿でしかない。鏡の中の自分に言葉をかける。もう一人の私は心なしか頼もしげに頷いたように見える。
 それでは具体的にどうするべきか。そっと瞳を閉じれば即座に流れ落ちてくる天啓。流石私の思考といったところか、やや思案すれば即座にその答えがヒットする。
 今は形から入ったのだ。ならば今度は中身を充実させるべきではないのか。
 キャラクターの衣装を身に纏っただけでコスプレだと言い張る愚民共が闊歩するこの世の中。真にその意味を捉えているのは極少数、そしてその本物の人たちは決して他者にそれを強要したりはしない。
 けれどそれでは駄目なのだ。本当のコスプレとはそのキャラクターに身も心も、そして魂までも成り切るべきなのだと誰かが警鐘を鳴らさなければなるまい。
そして私はその誰かになってみせよう。
 チャイム・ウィル・リング。いつかではいけない。ここから始めるのだ。
瞳を閉じ心を落ち着かせる。想像しろ、そして創造しろ。

 ――その人物の理念を鑑定し、基本となる性格を想定し、構成された人格を複製し、創作における技術を模倣し、人気にいたる経験に共感し、蓄積された心象を再現する。――

「どうかにゃ? 似合ってるかにゃ?」

 そう、私は今完璧にそのキャラクターになりきったのだ!! もう何の欠点を挙げられないほどに!!
 ――いや、私はまだ高みに登ることができる。考えろ、考えて考え抜き見極めるのだ。精神を統一すれば思い浮かぶのはあのライバルの勇姿。
たなびくエプロン、揺らめくフリル。その頂点に悠然と冴え渡るのはヘッドドレス。
私がより一層輝くためには彼女の力を借りるしかない。
 息をゆっくり吸い心に強く思う。

「ご主人様、可愛がって欲しいにゃ〜」

 そう、私は今メイドになったのだ!! それもネコミミメイドだっ!!
このネコミミとメイドという完璧なコンビネーション。率直ではあるが愚直ではなく、王道でありながら覇道として成り立つ正義。見る者に対し直球で勝負に掛かるこの実直さ。そして貫くこの破壊力。
「ふふ……」
 思わず小さく笑みがこぼれてしまう。おっと、参ったわ……。思わず自分の発想に感激してする余りくらりと来てしまった。鏡の中の自分もそれに合わせて右にゆらりとずれる。私の正面にいる竹内先輩も驚きの余り声を失っているようだ。まったく、そんなに驚かないでくださいよ。いや正面には鏡があるから実際には自分の背後か。ちょうど私の姿に隠れるようにして立っていたため今まで気付かなかったようだ。それにしても先輩も黙っていなくて声をかけてくれればいいの、に……?

「「………………………………………………………………………………………………………………………………」」

 私と先輩は鏡を通して見詰め合う。その間およそ数十秒。
 瞬時に世界が凍りつく。どこぞの『ざ・わーるど』とかおっしゃっている御方なんて話にならないほどの沈黙が空間をとりまく。
 先に硬直を破ったのは相手だった。
 困ったような笑みを貼り付けたままゆっくりと反転しようとする。

 ――――瞬間、私は光になった。

 彼女が振り返り終わるまでの一瞬の間、およそ十歩の距離を一息で駆け抜ける。勢いを殺さぬまま彼女の眼前まで駆け寄り、口と両腕を拘束すると同時に急停止。激しい摩擦による音、ゴムと床が焼ける匂いを五感で捉える前に反転し部屋の中へと引き戻す。後ろ足でドアを閉めそこで一区切り。
 部屋の中は数秒前の沈黙が戻っていた。
私はその沈黙を害さぬほどの小さな声で拘束している人物へと問いかける。
「黙って。動かず騒がず、身じろぎ一つしないでください。貴女には反論は許されていません。肯定なら首を縦に、否定なら首を横に。いいですか?」
 優しく問いかけたのが功を奏したのか、竹内先輩は壊れたおもちゃのようにものすごい勢いで首を縦に振ってくれた。
「もう、そんなに硬くならなくても大丈夫ですって」
 何故か直立不動で起立している先輩に優しく語り掛ける。こんなに緊張していては話し合いにならないではないか。
「それではまず最初に、今からこの手を離しますが、決して騒がず逃げず大人しく私の話をしいていただけますか?」
 静かに首が縦に振られる。私はそれを確認するとゆっくりと両手を放した。
ぎこちなくこちらに振り返った先輩は、困ったようでいて泣きそうな、それでいて戸惑っているような、なんともいえない微妙な表情をしていた。
「今から私のする質問に静かに答えてくださいね。それでは一つ目の質問です。今の私の格好をどう思いますか?」
 すると先輩は恐るおそる私の姿を確認する。上から下へ、ゆっくりと目をやり一言。
「……えっと、似合っているわよ?」
「何が似合っているんですか?」
「…………その、頭についてる飾りが……」
「先輩ったら何を言っているんですか。私の頭に何も付いていませんよ?」
「えっ…………でも藤波さんの頭の上……」
「先輩、今から私とピクニックに行きましょうか。そうですね山梨に森林浴に行くとかどうですか? 早朝にはフィトンチッドが出ているから気持ちよく睡眠ができるようになりますよ。それはもうぐっすりと。末永く」
「ちょ、ちょっと落ち着きましょう、ね? それに山梨ってもしかして青木ヶ原じゃないの?」
「問題ありませんって。青木ヶ原に入ると出られないなんてただの俗説ですから。ただ手違いで事故にあってしまうかもしれないだけですよ」
「や、やっぱり早急に物事を決めるのは良くないと思うわ。ここは冷静に話し合いましょう」
「――――それじゃあ私がちょっとした手品をしますね。三つ数えたら先輩は今までの記憶を失うんです。それじゃあ、ワン・ツー・スリー・はい」
 数え終わると同時に手を叩く。
「ほら、何も、付いて、いませんよね?」
 ゆっくりと、言葉を区切って、丁寧に同意を求める。
「――――あっ、うんうん。付いて無いわね。私の勘違いだったわ。御免なさい」
 慌てたように途端に早口になって訂正する先輩。先ほどは可笑しな事を言っていたけれどようやく正常に戻ってくれたようだ。これも私が落ち着いて質問をした成果だろう。
 たとえ尋常じゃなく冷や汗をかき、赤みがかった目に薄っすらと涙が浮かび、必死な表情で懇願しているように見えても私の口調は冷静だっただろう。


 ようやく落ち着いた室内で私と先輩は椅子に向かい合って座っている。
 しかし先ほどの私は本当にどうかしていた。変な格好をしようとしたり、怪しい台詞を口にしようとしたり。あくまでしようとしただけだが。きっと何か変な物質が頭の中で生成されていたに違いない。
「それで竹内先輩はどうしてここに? 部活は休みだったと思いますけど」
「ええと、ここを最後に使ったのは私たちのクラスだったの。それで授業のときに忘れ物をしちゃったみたいでね、それを取りに来たの」
 にこやかに会話を進む。やはり円滑なコミュニケーションというものは心地よいものだと改めて実感する。
「藤浪さんは?」
「私は上倉先生に道具を貰いに来たんです。本格的に始めるなら道具が必要だろうって。なんか昔先生が使ってた物らしいですけど……」
「…………そう」
 なにやら思案顔になる先輩。何かを考えているようで時折小さな声が聞こえてくる。もっとも断片的にしか聞こえてこず、「あの人がわざわざ」とか「やっぱり最後は」といった言葉が届くだけだ。
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 なにやら不穏な空気が流れ出しそうだったので慌てて話題を振る。先輩も先ほどまでの思考を放棄して快く返事を返してくれる。
「もしもの話なんですけど、仮に私が頭に特徴的な装飾品――たとえば動物の耳をつけたとしたらどんなものが似合うでしょうか?」
 先輩は難題を当てられてしまった生徒のように当惑した表情で固まってしまった。
「あくまで『仮に』、ですから」
「え〜っと……そうね……」
 先輩は私の頭と腰の辺りに視線をさまよわせ、猫かな? と答えた。
「そうですか。それなら猫の耳を付けたら似合うと思いますか?」
「うん。似合ってるわ」
 まるで見ていたかのように頷く先輩。きっと想像できるぐらい似合っているのだろう。
「ところで藤浪さん。いつまでそれを――――」
 私は先輩が言い切る前に飛び出していた。
 私の突然の行動に驚く先輩の腕を掴み、近くにあった石膏の像の裏に引きずり込む。
「えっ、ちょ、藤浪さん!? どうし――」
「静かに。じっとしていてください」
 先輩の口を塞ぎじっとその時を待つ。
 数秒後、沈黙に包まれた部屋に足音が届く。
 二つの足音はだんだんと部屋に近づき、やがて部屋の前で止まる。それに加え微かに聞こえる男女の話し声。
「この声って……」
 小さく呟くような先輩の声。それに合わせて二人の人間が入ってきた。
 一人は上倉先生。もう一人は知らない女性徒だった。
 先輩に視線を送るが、返ってきたのは首を横に振るというものだった。ということは二年生の 確率が高く美術部員ではないということだ。
(よく分かったわね。私なんて近くに来るまで気が付かなかったわ)
(まあ私の特技みたいなものです。特に先生の気配ならすぐに分かりますよ。 まあこれも一種の絆ですね)
(…………そう)
 視線を介しての無言のやり取りをしている間に、二人はなにやらスケッチブックを持ち出していた。
「それにしても熱心だな。美術部でも無いのにわざわざ絵を見てほしいだなんて」
「すいません……どうしても上手くかけないところがあったので……」
 女生徒は赤みが指した頬を隠すかのようにやや俯いて、それでも嬉しそうに笑みを零す。
 私はある種の確信を持った。隣を見やれば先輩も同様の意見を持ったようだ。どこか冷ややかな視線で二人を見ている。

――こいつは敵だ。

 かつて死闘を繰り広げた戦友だからこそ共感できる想い。私たちが持つある種のセンサーに引っかかったこの生徒は即刻排除するべき存在だ。
 しかし上倉先生の目の前で行なうのは得策ではない。今はこいつの顔を覚え、身辺調査を行なったうえで処分するべきだ。
「それでこの部分なんですけど……」
 スケッチブックを先生に見せる生徒A。先生は彼女の手元を覗き込もうと身体を寄せる。
「「――――っ!!」」
 思わず『近いっ!!』と言いかけてしまった。ギリギリで何とか押し留めたがそれは先輩も同じだったようだ。二人揃って息を呑む音が重なった。
 上倉先生は女生徒との距離など全く意識していないようで、視線はスケッチブックに向けられている。
「ん……、この部分は鉛筆を立てすぎだな。光がこっちから差しているわけだからもうちょっと流れる感じで……」
 真剣に絵を見つめる先生に思わず吸いつけられてしまった。子供のように純粋で、同時に熱を秘めている魅力的な瞳から目を逸らすのがもったいなく感じる。
 以前は絵に対する思いが行き場をなくし、怠惰な日々を過ごしていたようだが今は違う。感嘆の念を零すほどの活力に溢れ、桜花展に向けて真剣な思いで筆を取る充実した日々だ。なんと言っても部活中でも生徒を放っておいて自分の絵のことが気にかかってしまうほどだ。竹内先輩は部活に出てくれてよかったけれど、ちゃんと指導もして欲しいと苦笑していた。もっとも先生の絵を見て技術を盗もうとしている生徒がほとんどだが。
 数年もの間押し留めていた欲求は、そんな風にただ『描きたい』という子供のような衝動を生み出している。
 真っ直ぐで純粋でとても綺麗な瞳。無邪気でそれゆえ危なっかしく、どうしても引き付けられて目を逸らせない。今の上倉先生は無自覚に他人を引き付けてしまっていた。
 ――そしてこの女生徒も。
 頬を染め陶酔した表情をしている。まさに恋する少女の目。数ヶ月前まで自分が同じような表情をしていただろう事に恥ずかしさを覚えるが、同時に自分はそこから一歩抜け出したのだというちょっとした優越感を感じる。
 そんなことを考えている最中、女生徒は更なるアクションを起こしていた。
 先生の目がスケッチブックに向いているのをいいことに、身体を先生の方にずらしたのだ。

 ピシリ、と何かにヒビが入る音が聞こえた。

 それは私の中から聞こえたのか、それとも目の前の石膏から聞こえたのか。あるいは両方か。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、なんだか寒気が……」
「気をつけろよ。最近かなり寒くなってきてるからな」
「は、はい……」 
 その親しげな会話に思わず拳が震えた。なんか勘違いしてそうな女生徒に、無意識に勘違いさせているこの教師。いい加減自分のやっていることを自覚しなさい。
「あれ……いま揺れませんでしたか?」
「そうか? 俺は気が付かなかったな。まあこの校舎はかなり頑丈に作られているから弱い地震なんかじゃほとんど揺れやしないぞ」
(ちょっ、藤波さん。落ち着いて。怪しまれるわよ)
(――――っ!?)
 竹内先輩に窘められようやく落ち着くことができた。目の前の二人も会話が少し横道に逸れたことで縮まりかけた距離は元通りになった。やっぱり先生と生徒との距離はこれぐらいでないといけない。
 ――しかしこれからどうするべきだろうか。
 先生が誰か(女性)と話している声が聞こえたため思わず隠れて様子を見ようと思ったのだが。
 今この場で出て行って手を出せないように牽制するべきか、あるいはこの場を黙ってやり過ごし後で闇討ちをかけるべきか。
 ちらりと隣を伺う。それだけで先輩は察してくれる。
(そうね……どちらを取ってもリスクは付きまとうわ)
(と、言うと?)
(まず前者。どうして隠れたのかという疑問を抱かせることになるわね。それによって変なイメージをもたれることになるでしょうね。加えて盗み聞きしていたというマイナスイメージ。これはかなり気まずい展開になるわ)
(ならここは黙って見送るべきと?)
 相変わらず女生徒は楽しそうに先生と絵の話をしている。本当ならば即刻手を下したいところだが、我が偉大なブレーンの言うことは聞いておいて損は無い。
 怒りに震える拳を何とか静めようと押さえていると、先輩は優しく諭すように私に呼びかけた。
(落ち着いて、藤浪さん。何も指をくわえて黙って見ているほうが言いというわけでは無いわ)
(――つまり、そちらにもリスクがあると?)
(ええ。――藤浪さん、世の中には『既成事実』という恐ろしい言葉があるのは知っているわね?)
(はい。でもそれが――――まさか!?)
 一瞬ではじき出される解答。しかしそれは実現させてはならない最悪の展開でもある。
 私の表情から正しい結論が導き出されたと確信したのだろう。先輩は小さく頷いた。
(先生は意外と流されやすいところがあるわ。相手から誘われたぐらいではなびかないでしょうけど……押し倒されたら話は別。でもそれは断じて許されることではない)
 そう。それは許されることではない。
 ルール無用の無法地帯ではあるけれど、そんな中でも唯一といっていいほどの協定があった。それは自然界における弱肉強食に近代の武器を持ち込むような無粋なもの。それが指すものはひとつ。

 『上倉浩樹に対して身体で迫ってはならない』

 それは女性として戦うわけではなく、個性で立ち向かうわけでもない。たんに本能に対する欲求で迫るだけの下劣な行為でしかない。
 状況がどうであれ、先生は責任を取ろうとするだろう。それでも良いという人間は存在するだろうが私たちはそれを良しとしなかった。己のプライドを弾倉につめ、学園という戦場を駆け巡り、嫉妬という弾丸を掻い潜り、ただ一人の相手に向け純粋なる想いをかけて引き金を引いた。
 そんな大切な思い出をただ一度の蛮行によって汚させるわけにはいかない。
(絶対に、させない……)
(ええ、そのために状況を見極めなければいけないわ)
 顔を見合わせ同じ決意を固めた。

 そこからは特に危うい状況はなかった。ただの教師と生徒らしく淡々と時間は過ぎていった。時折女生徒が何かを試みようとする表情をしていたが、ことごとく失敗していた。
(これなら心配無さそうだけど……)
 けれど一つだけ心配な点がある。それは先生が私のことを不審に思わないかという点だ。本来私は先生から道具を貰うために美術室にいるはずなのだ。けれどその私が見当たらないのでは不審に思うはずだ。もっとも今は生徒の指導に気をとられているため忘れているだろうが、何のきっかけで思い出すか分からない。そのときになんと言い訳をすればいいのか。
(――っ!? 藤浪さん!!)
 無言でありながら大声で私の意識を引き戻すという器用な真似をした先輩。普段は冷静沈着なこの人がそんなに慌てる理由はなんなのか。
 ちょっとした疑問を抱えながら二人に目を向けると、その瞬間にそんな疑問は吹き飛んでしまった。
 スケッチブックを持つ女生徒の右手と上倉先生の右手がばっちり重なっていた。体勢を見るに、おそらく落下しかけたスケッチブックに慌てて手を伸ばしたというところだろうか。ある意味よくある状況だ。
 しかし今、ここであってはならないものだ。だが驚くべきところはそれだけではなかった。
(空気が……甘い!?)
 思わず呟いた言葉だったが、それはまさに的を射ていた。教室にいる二人を中心としてなにやら甘酸っぱい雰囲気が漂っていた。
(こ、これはどういうことですか!?)
 初めての出来事に戸惑う私は、苦々しく顔をしかめる先輩に説明を求めた。
(世界が彼女の心の内――心象風景に塗りつぶされていく。多分この桃色空間は彼女の想い――――思わぬ出来事に高鳴る彼女の心が教室を包み込もうとしているのよ)
 教室を取り囲む壁は取り払われ、あたり一面に花畑が広がっている。世界との境界は緩やかに流れる小川。空には眩いばかりに輝く虹とさえずりを零す小鳥たち。
(夢見る少女の中に広がるメルヘンな世界。現実を容易に塗り替え、侵食する。等価交換の原則すら無視する少女漫画の世界。それを作り出すこの空間――それが固彼女の固有結界)
 まさにこの空間では彼女が世界の主だった。
 恋人が総理大臣の孫で大会社の社長だったり、世界トップのF1レーサーだったり、転校した先で運命の出会いを果たし幸せ一直線の人生だったり。
 そう。ここは何でもありの少女漫画の世界だった。
 その中心にいる女生徒はだんだんと先生との距離を近づけていく。先生は彼女が何をしようとしているのか分からず不思議そうに見ている。重なり合っていた右手を握り左手で先生の袖を掴む。前かがみになった先生に背伸びをして近づき――――

「いい加減に離れろぉーーーーーーーーーーーっ!!」

 怒号と共に石膏が弾け飛んだ。

 花火が間近で咲くような衝撃と爆音。石膏は原形をとどめず、ただの塊として床を滑っていく。小さな塊が粉塵と化し、暴風のように吹き荒れる拳を中心として同心円を描く。
その他の塊の行く先。浩樹と女生徒は呆然とし、隣にいる竹内先輩も唖然として固まっている。それらの視線が集まる先には拳を突き出したまま停止している私の姿だった。

 ――やってしまった。
 あれだけ自重していたにも関わらずあっさりボロを出してしまった。しかし状況を考えれば仕方がなかったのではないかと思う。
「藤浪……お前…………」
 いち早く言葉を取り戻したのは浩樹だった。私の顔を見て困惑の表情を浮かべている。それもそうだろう。危うい状況に突然婚約者が現れたら驚くのも道理だ。私にも隠れていた気まずさがあるものの、それ以上に言ってやりたいことがある。とりあえず浩樹は悪くない。現況はこの女だ。まずどうしてやろうか。
 頭の中で五通りほど考えたところで浩樹が口を開いた。

「その頭、どうしたんだ?」

 予想外の返答。頭に何か付いているだろうか。もしかして石膏の粉塵をかぶってしまったとか?
 首をかしげる私に先輩がそれ、と指を差し小さく声をかける。疑問を浮かべながら頭に手をやれば、そこにあるのはふさふさとした感触。それだけでは分からなかったので鏡に目をやる。

 そこにあったのは『ミミ』だった。
 意味が分からず硬直していると浩樹が戸惑いながら声をかけてきた。
「何でネコミミなんかつけてるんだ?」
 その一言で全てを思い出した。
 竹内先輩に見られたことで自身にも暗示めいたことをかけていたのか。兎に角今の今まで全くといっていいほど気が付かなかった。
 驚き、慌て、どうしたらいいのか分からず、次第に目から暖かいものが溢れ落ちそうになる。顔が赤くなり、その後青くなり、もう前を見ていられなかった。
 羞恥、当惑、混乱、悲哀。どうしようもなく交じり合った感情が留まることなく膨らみ続ける。
「――――」
 浩樹が何か言おうと口を開きかけた。
 その言葉を聞く前に、私は駆け出していた。
 両手で耳を塞ぎ教室から逃げ出す。下駄箱まで息もつかず走りきり、流れるような動作で靴を履き替える。そして後ろを振り返ることもせず学園から飛び出した。


                         *     *     *


「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 馬鹿みたいに間延びした溜息が口からこぼれ出た。
 夕暮れの中、雪の残る道を一人とぼとぼと歩く私に付き添うのは、何も言わぬ長く伸びた影だけだ。さくさくと雪を踏む音がやけに耳に届く。
 白く名残りを残す吐息のように私は後ろ髪を惹かれる想いだった。
 考えるのは当然の事ながら先ほどのこと。今思えばどうしてあんなことを、と思わずにはいられない。悔やむことなら後からどんどん沸いてくる、本当に言葉通り後悔なのだが、それでも自分の失態を恥じずに入られない。
 もう一度小さく溜息をつく。茜色の空を飛び交う烏さえ私のことを馬鹿にしているとしか思えない。
「――っひゃ!?」
 唐突に肩へと伝わった刺激に、思わずしゃっくりをしたみたいな悲鳴を上げてしまった。私は咄嗟に身構え、距離をあけ背後を振り返った。
「…………何やってるんだ?」
 しかし警戒しながら振り返った先にいたのは、私の行動を怪訝な眼で見ながらちょっと引いてる浩樹の姿だった。
「えっ……なんで…………?」
 驚きの余りそんな間抜けな言葉しか出てこなかった。もっとも、その驚きはどうして浩樹が追ってきたかではなく、どうして私に気付かれずに背後に立つことができたかというものだったが。普段なら浩樹が近くにいるだけで気配というか匂いというか、とにかくなんとなく分かるのだが……。
「何でって、お前を探してたに決まってるだろ? んで、やっと見つけたと思ったのに何回呼んでも気づかないし。仕方ないから直接呼ぼうと思って近づいたらなんかぶつぶつ呟きながら俯いてるから…………正直ちょっとアレな人だったぞ」
 声をかけようか迷ったよ、と笑いながら話す浩樹。恐らく本人はちょっとした冗談のつもりなのだろうが、今の私は心が既にグロッキー状態。その上追い討ちをかけられればダウン寸前になるのは避けられない。
 そんな今の私には重すぎる言葉が、ず〜んという擬音と共に背後に影を背負わせる。
「にしてもなんで急に逃げたりしたんだ?」
「…………それは」
 さらに重い質問が来た。つま先で地面をぐりぐりといじりながら言葉を捜す。これ以上私の株を下げないよう何とか言い訳を探すが、そもそもこれ以上下がるような株があるのかどうか。
「まあ大体のことは竹内から聞いたんだけどな」
 けれど浩樹はさらに残酷な言葉を紡いだ。
 大体のこと――つまり私がネコミミを付けていたこととか、その理由とか。メイド宣言をしたこととか語尾ににゃーを付けていたこととか、闇討ちをすることとか。
 一瞬で真っ白になった頭。唯一考えられた行動は一つ。

 ――逃走。

 反転しながら地面を蹴って距離を開けに掛かる。とりあえず今は一人になりたい。そんな思いで足を踏み出した。
 けれど残念ながら運動神経を母親のお腹の中に置き忘れてきたこの藤浪朋子。雪の中を歩いたことなど片手で数えられるほどしかなく、あまつさえ雪の中を走るというあくろばてぃっくな所業を行なうなどできるはずもなく。
 つまりはこけた。
 つるっと滑って半回転。そのまま頭からダイヴ――と思いきや、何故か私の体は宙に浮かんでいた。
状況を確認するために辺りを見回せば、正面に上下逆さとなった上倉先生の姿があった。
「だから逃げんなって。まったく、いつまでたっても野良猫みたいなやつだな」
 そうやって苦笑しながら私を抱きしめていた。
 と言っても両腕で抱きしめるといったそんなロマンチックな体勢では無い。私は片手で子供みたいに抱えられていた。ちょうどお腹を始点にしてぶらんと吊り下げられた姿で持ち上げられている。
「別にお前をどうこう言うつもりは無いよ。でも何であんな格好してたんだ?」
「…………アンタがあんなもん持ってるからでしょ」
 逃げ場がなくなった私は仕方なく口を開いた。
「あんなもんって…………ああ、あのパーティーグッズか?」
「何が『ああ』よっ!! そんな軽く言うんじゃないわよっ!!」
 浩樹が何でも無いような気軽さで言うのにカチンと来た。こいつは私がアレを見つけたときどんな気持ちだったのか分からないのか。
「暴れんなって。危ないだろ?」
じたばたともがく私を浩樹は慌てて地面に降ろす。
「それにしてもほんとに軽いな。その辺の中学生だってもうちょっとあるんじゃないか?」
「――っ、悪かったわね、子供っぽくてっ!! どうせ私は色気も無いし優しくも無いわよ。おまけにメイド服も似合わないしネコミミをつけてるような変な女よ!!」
「……いや、意味が分からないんだが……」
「うっさいっ!! 私だってどうなってんのか分かんないわよ」
 何を言ったらいいのか分からなかった。悲しいのか恥ずかしいのか、それとも怒っているのか。自分の気持ちのくせに好き勝手暴れまわる感情に振り回されてしまう。瞳から流れ落ちる雫がちょっとづつ雪を溶かしていく。
「あ〜、なんて言うかな、あれだ。最後の二つは良く分からないがな、それ以外については一つ言いたい」
 俯いた私の元に浩樹が近寄ってくるのが分かる。互いの距離がどんどん近くなり、ほとんどゼロになったところで足を止めた。表情は見えないがきっと微笑んでいるのだろう。そう思ったときには私の背に両手が回されていた。
 そのまま何も言わず抱きしめられる。
 ぽふ、という音と共に暖かさが身体を包む。空気の抜ける音と共に、私の張り詰めた感情も見る見るうちに萎んでいく。ちょうど頭が胸の中にすっぽり納まる私の指定席。その頭にこつんと当てられる浩樹の額。それだけで私の頬は緩んでしまった。
「ったく、そんなこと気にしてないっての。別に子供っぽいなんて言ってないし、いつも優しくないわけじゃないだろ?」
「……否定はしないんだ」
 それでもちょっとだけ膨れながら些細な非難を試みる。
「だーかーらー、そんなこと気にならないぐらい惚れてるんだから。何回も言ってるだろ?」
「ぅ〜〜〜〜」
 何の打算もなくストレートに言うものだから私の頬は一瞬で真っ赤になってしまった。
 ずるい、本当にずるい。そんなこと言われたら何も反論できないじゃないか。私にできるのなんてせいぜい恥ずかしさを紛らわすためにうなることぐらいだ。
「…………ならあのネコミミは?」
 もうちょっとだけ、頑張って拗ねてみる。
「ああ、アレは前にハロウィンの時に生徒が持ってきたんだよ。みんながいろんな仮装をしててな、まあそのときの忘れ物だ。結局誰が持ってきたのか分かんなくなってな、捨てるのもなんだし置いておいたんだよ」
 ちょっと考えてみれば分かることだったのかもしれない。けれどあのときの私はとんでもないものを見つけてしまった衝撃でそんなこと考えもつかなかった。
「……なら物静かな文学系美術部員(眼鏡付き)とかと変な関係を持ったりしてないわよね?」
「はぁ? 何のことだ? んなのあるわけ無いだろ」
「それじゃあ活発系スポーツ少女とか色気ムンムンの看護教諭とか幼馴染とかも?」
「……ほんとに大丈夫か? 第一看護教諭は坂井先生だし、アレをつける幼馴染って…………柳か?」
「ごめん最後のは無しで」
 当然のことながらあの体育教師は選択肢に無いということで。
「とにかく変なことに使って無いのよね?」
「当たり前だろ。第一変なことする相手がいない――というか、いなかった。俺がこっちに来てから好きになったのはお前だけだよ」
 思わず頬が真っ赤になる。でもなんか上手く丸め込まれたみたいで悔しい。
「…………でも私のほうがずっと好きだったもん」
 だから抱えられたまま呟くように反論。
「でも俺は一瞬で好きになったぞ。それに告白したのは俺からだしな」
 反則すれすれの反論。
 どちらが好きになったかというちょっと変わった言い合い。他人から見れば変な会話だけれど今の私にはそんなこと気にならない。
今胸にあるのは幸せな気持ち。私たちはお互いにぽわぽわした心地よさを感じていた。
「ほら、帰るぞ」
 抱きしめていた腕を緩め、そのまま右手を差し出し私の手をとった。
「……うん」
 小さく答えその手を握り返す。
 未だにちょっと恥ずかしいこの行為だけれど、それ以上にここにある確かな幸せをかみ締める。
 二人は自然と笑顔に変わる暖かさを感じながらゆっくりと歩き出した。



















「ところでどうしてあんなもの付けてたんだ?」
「それは…………浩樹がああゆうの、好きなんだと思って……」
「ぷっ……」
「ちょっとなに笑ってんのよ!?」
「いや、可愛くて」
「なっ――――」
「そういうところも好きだな」
「う〜〜〜〜〜〜〜」
「膨れんなって。んで、ホントのところ付けてみてどうだった? 実は似合ってると思っただろ?」
「………………………………悪い?」
「いや、悪くない。ものすごい似合ってるぞ」
「……何で過去形じゃないのよ?」
「だって今も付けてるだろ?」
「――――ぅあっ!?」
「別にそんな慌てなくてもいいだろ? もう気になんないよ。それに似合ってるって言っただろ?」
「………………………………うん」
「ほら、帰るぞ」
「………………………………」
「ん? どうした?」
「……ちなみに、ホントのところ、浩樹はこういうコスプレとか、好きなの?」
「まあ嫌いじゃないな。なによりお前に似合ってるからな」
「……それじゃあメイド服とかも?」
「…………似合いそうだな」
「……なら今度着てあげる」
「こんなに可愛いメイドがいるなんて夢みたいだな」
「……バカ」

  〜Nonchalant happiness overflows before days.
                                By the side so immediate as for it.〜  
                                                             < end >

テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  [ 藤浪朋子 SS ]   # 54  <固定リンク>

それはすぐ傍に(25)
 いつになく病室が賑やかだった。
 確かに人数が増えれば次第に話が弾むのは間違いでは無い。女三人寄れば姦しい。使い慣れた言葉は陳腐ではあり凡庸であり、逆にそれが光景を容易く想像せしめるだろう。
 けれどそれは人口密度が高い。それだけの理由では無いと理解している。
 恐らく心情の変化であり、身上の変化でもあり、また真情の変化でもある。
 病は気から、マター・オブ・ウィル。全てが万事解決ということには至りはしないが、それでも枷が一つ外れたのはまぎれも無い事実。加えてレールが敷かれたのも事実。
 別に世間一般で言われるところの人生のレールと言うわけではない。いつでも退場可能な争奪戦。用意の合図もなければスタートラインが均一でもない。スタートの合図などあるわけもなく、フライングは思い切りの良さと等号を結んでもなんら誤解を招いたりはしない。
 出場選手が何人かも知らされてはいない。増えているのか減っているのか、客観的に判断することはできやしない。ましてやそれが当事者なら尚更だ。
 あるのはゴールだけ。
 表立って闘うのも、声高に宣言することもしないが、それでも私には友人であり学友でありライバルでもある少女との約束がある。
 後ろを向かず、前だけを見るわけでもない。下を見るでも上を見るでもない。ただ隣に立ってもらうために歩くことを決めた。
 それが私の決意だったから。

                                 (25)

 益体の無い抽象的な表現ではあったが、あえて直情的に表現せず隠喩を内包させた言葉のほうが心情をありのままに伝えることができるのでは無いだろうか。
 修飾に婉曲を混ぜ合わせた表現がありのままの思いをさらけ出すというのは、確かにパラドックスと考えても差し支えないだろう。

 閑話休題。紆余曲折に過度な言い回しをしたものだが、それほど私が混乱していたと言うことにしておいて欲しい。
 さてさて、現在私の病室には合計四人の人間がいる。
 一人は私。まあ私がここにいる理由を論じるよりも、いない理由を搾り出す事のほうが難しいだろう。
 もう一人は上倉先生。決して長期に渡ってここを訪れているというわけではないのだが、それでも先生はこの部屋に受け入れられていた。
 そこにいて当たり前。さも当然のようにパイプ椅子に腰掛けるその姿は病院というその場所にいることが習慣づいているかのようだった。
 あるいはこの部屋の主でもある私自身が許している――そう望んでいるからなのかもしれない。
 逆にその空気に戸惑っている少女が一人。エリスちゃんだ。おそらく病院で誰かの見舞いをするということに慣れておらず、この場の空気にどうあわせるべきか、不安定な立ち位置を決めきれずにいるのだろう。困ったような笑みがデフォルトになっている今日この頃の表情が雄弁に語っている。
 だからこそ彼女はいつもどおり、上倉先生の横に位置取り状況の推移を見やっている。
 そんなふうに周囲の状況を冷静に観察しているこの私だが、今の私はとても平常ではいられなかった。自分よりも周りのことのほうがよく分かる。幼い頃から他人の周囲との距離を保ちながら生きてきた私だから。しかしそのせいでこういった状況には慣れてはいない。
「わー、このお花綺麗だねー。これってセンセーが持ってきてくれたの?」
 サイドテーブルの上に飾れらた花に興味を抱き、
「うわ〜朋ちゃん真面目だね〜」
 私の手元にある教科書を辟易した目を向け、
「それって私の新刊だよね? 買ってくれたんだ」
 置いてあった小説を嬉々として手に取った。
 可奈先輩は物珍しそうにあちこちを見回っている。三人が入室してから数分が経過した今も、私は上手く言葉を離すことができていなかった。
 大体どうしてこんな状況になっているのか。今日はパーティーですか? サプライズですか?
 エリスちゃんと友情が成立したのが昨日のこと。さて今日から心機一転と考えたところでこの来訪。嬉しいとか迷惑どうこうより、そもそも頭が回らない。テレビに出ている有名人がそのまま私の前に現れたような――もっとも私は芸能人とかに大して興味が持てないのでその比喩が適切かどうかは分からないが。
 まあそれはどうでもいい。ここは挨拶をするべきなのかいや気さくに声をかけるべきなのか。そもそも可奈先輩はどうしてここにもしかして私の見舞いなのかいやいや成り行きなのか。そのまえに質問に答えるべきなのかそのまえに挨拶をしたほうがいいようなでも今更じゃないのか。上倉先生に聞いてみるべきかエリスちゃんに聞くべきかその前に本人に聞かず別の人にというのは失礼では無いだろうか。
 取り留めの無い思考が四散し、脈絡の無い思案が散々する。
 ぐるぐる回る糸車のように絡み合い重くなり袋小路の打ち切り状態。どうしようもなくなった回路がエラーを発するその手前。
「そろそろ落ち着け」
 上倉先生が可奈先輩の頭を鷲づかみにした。
「うわわわわっ」
 そのまま可奈先輩を引きずり、先ほどまで自分の座っていたパイプ椅子の上に押し付けた。
「いたっ」
 加えて頭を軽く小突く。
「もー、センセーったら乱暴だよ。もっとレディーに対しては優しくしないと」
「残念ながらレディーには優しいよ。ただ俺の目の前には存在しないがな」
「うそっ!? センセーってばもう老眼になっちゃったの? こんなにも大人の魅力に溢れた美少女が見えないなんて……」
「待て。いくつか反論しておこう。まず俺の視力は平常で加えて美的感覚も人並みはずれて異常ということはありえない。
 次にお前が大人びているなんて誰に聞いても首を縦には振らないぞ。お昼の番組でアンケートをとったってストラップも貰えやしない。おまけにお前が美少女だと?
 第一、大人の魅力と美少女っていうのは矛盾してるだろ。仮にも小説家ならきちんとした言葉遣いをしとけ」
「ちっちっち。センセーってば分かってないんだから。無邪気な美少女が時折見せるミステリアスな雰囲気とはかなげな横顔。謎めいた過去。愁いを帯びた視線。そういうのが秘めた魅力っていうものなんだから」
「ほう。なら百歩譲ってそれが魅力だとしてもな、ちゃんとした大人は病室でこんなはしゃいだりはしないぞ。見てみろ、エリスも藤浪も反応に困ってるだろ」
 溜息をつきながら私たちのほうを指し示す上倉先生。
 私は緊張と動揺から固まったまま、エリスちゃんは困惑と疲弊から苦笑を貼り付けたままだった。
「う〜ん、二人とも騒がしいのは嫌いだったんだ。ごめんねー」
「当たり前だ。病院では静かにっていうのは当たり前だろ」
 明るく笑う可奈先輩と大人らしく注意をする上倉先生、そして溜息をつくエリスちゃん。こうやって見ると可奈先輩は小説を通した向こう側の存在ではなく、撫子の先輩としての存在として捉えることができた。無論今までの憧れが無くなったわけではなく、寧ろ抽象的な憧れというものから一つの方向性をもった、人間としての可奈先輩へ憧憬の念を抱かせた。
 親しみやすい言動、明るい雰囲気。誰にでも気さくに話しかける社交性。それらが尊敬以上の、いわば一種人生の指針であるとも言えるだろう。
「あの、どうしてみんな揃って来てくれたんですか?」
 普段は敬語など使いはしないのだが、可奈先輩がいるとあって自然と丁寧な言葉遣いになっていた。
「それはだな、俺が学校を出たところで……」
「私がお兄ちゃんを捕まえたの。昨日みたいに黙って学校から出てくからたぶん朋子ちゃんに会いにいくんだろうと思って」
「私はそんな二人が怪しかったからつけてみました」
 自分の手柄を自慢するように高らかに宣言する可奈先輩に二人は揃って溜息をついた。恐らく道中も同じようなテンポの会話を繰り返していたのだろう。その羨ましく思った。
 以前の私ならば煩わしく、また無頓着に流していただろうその会話に、今は加わりたいと自然に思えていた。
「でもでも、センセーが女の子と歩いてたんだから怪しいと思うよー」
「別に怪しくなんてありません。健全なデートです」
「デート?」
「デートなの?」
 異口同音。私と可奈先輩が同時に口を挟んだ。
「デートです」
 問いかけられた本人がその意味を咀嚼する前に、二人の質問に反射的にその相手が答えていた。
「お兄ちゃんと私が一緒に出かけたら、それでもうデートなんだから」
 エリスちゃんは自慢げな笑みを零しながら胸をそらした。何気に自己主張する部位に一瞬視線が吸い寄せられてしまった。
「何を馬鹿なこと言ってるんだ」
 心底疲れたような口調で一蹴。
「何が悲しくて妹とデートしなきゃいけないんだよ。ただの同行者、じゃなきゃこいつらの保護者ってとこだ」
「へー、保護者ね……」
 なんでもないような風を装いながらも、内心穏やかならぬ気持ちが抑えきれずにいたのは事実だった。
ついつい全く意に介さぬようなその返答に、ざわめきかけた心が平穏を取り戻しはじめる。
「まあアンタがデートなんてあり得ないだろうけど」
「あれれ? 朋ちゃん、知らないの?」
 なんとなくの悪態だったけれど、予想に反して可奈先輩は意外そうに首をかしげた。
一体なんだというのだろう。エリスちゃんも不機嫌そうに眉をひそめているし。
「こう見えてセンセーって意外と人気あるんだよー」
「なっ――」
「調理実習の時だってそうだし、エリスちゃんは知らないだろうけど去年のバレンタインだって――」
 その続きはノックの音で遮られてしまった。
「朋子ちゃん、いいかしら?」
「あ、はい」
 反射的に返す答え。返事をしてからそれが誰のものか理解した。
 それと同時にドアが開けられ見知った顔が現れた。
「あら……上倉先生、でしたよね? 朋子ちゃんのお見舞いですか?」
「あ、はい。それで今日はこいつらも連れてきたんですが……もしかしてこれから検診ですか?」
「ええ。でもまだ大丈夫ですよ。時間には余裕がありますから」
 真崎と上倉先生。普段私と会話をしているときはどこか子供っぽさが漂っていた二人だが、いざこうしてみると社会人としてなんら問題の無いように思える。
 そんな様子にふと寂しさを覚えてしまう。
 私が親しいと感じていただけで、他にもっと気を許している人がいるのではないか。もっと必要としている、されている人がいるのではないだろうか。私は知り合いの中の一人でしかないのではないだろうか。
 どこか距離を感じ、見えない壁が互いを隔てる。硝子のように薄く、いとも簡単に乗り越えられそうな壁。けれど壊れてしまえば二度とは戻らない。
 近づくことに躊躇し、離れることに痛嘆する。
 知りたい相手がそこにいて、知らない相手がそこにいる。
 きっとそれはただの思い過ごしでしかなく、後になれば苦笑と共に振り返ることもできるだろう。
 だが気にし続けている限り私の胸を占拠する。
 自分からは踏み出すことができず、ただ蹲り手を差し伸べられるのをじっと待つ。気に入らなければ撥ね付ける。

 ――――それが私の弱さだった。
 きっと私が以前のままだったら性懲りもなく同じ間違いを繰り返していただろう。挑む前から結果を決め付け、物分りの良い振りをして大切なものを手放した。
 あんな思いは二度とご免だった。
 せめて、一歩だけでも。歩み寄る勇気を。

「ところで真崎さんはどうしたんですか? 予定より大分早いみたいですけど」                                    
 上倉先生と真崎さんの会話に疑問を投げ入れる。
 本来の検診の時間まで三十分近くある。
「なんか朋子ちゃんのところにお見舞いの人たちが来たって聞いたから。一応挨拶をしておこうかなって。ほら、これから朋子ちゃんをお願いするわけだし」
「お願いって……」
 ついつい深い意味について考えてしまう。きっと額面どおりにとって構わないのだろうけど、わざと間違うようにいっているのだろう。
「で、朋子ちゃんはいつになったら三人のことを紹介してくれるのかしら」
 そういわれてようやく思い至った。上倉先生もエリスちゃんも可奈先輩も、真崎さんとは初対面だった。上倉先生は以前に会ったことがあったと言っていたし、私もいつものように会話をしていたけれど、二人は何を話していいのかも分からないだろう。
「あ、えっと……その……、私のクラスメイトと、先輩です」
 産まれてはじめての紹介にどういっていいか分からず、しどろもどろになりながらも何とか言葉を発した。
「あれ? 私ってただのクラスメイトだったの?」
 しかしエリスちゃんはお気に召さなかったようだ。
「あ、そうじゃなくて……クラスメイトで友達です」
 そう言うとエリスちゃんは笑顔で頷いた。けれど。
「えー。エリスちゃんだけ友達なの? 差別だよー」
 可奈先輩は頬を膨らませて私に抗議した。反射的に訂正するために反芻してみたが、しかしその意味を理解すると戸惑いが浮かんできた。
「あの…………私と、可奈先輩は……」
「友達でしょ?」
 さも足し算の答えを出すかのように、むしろ間違っていることのほうがありえないというように断言してみせた。
 思わず胸が熱くなった。
「あら、ちゃんといるじゃない。友達」
 そんな私の気持ちを見透かすように真崎さんが笑いかけてきた。
「前はいないみたいな事言ってたけど……」
 真崎さんはエリスちゃんと可奈先輩の顔を交互に見て、それから上倉先生の方を見た。
「そういう友達も大切だと思うわ。切磋琢磨、お互いに競い合うことも時には必要だと思うの」
 やはり、というべきか。真崎さんが一目見てエリスちゃんのことに感づいたのもそうだし、可奈先輩がそれなりの感情を上倉先生に抱いているということも。
 ある程度理解していたことではあるが、複雑な気持ちを拭いきることはできない。
「あの、真崎さんでいいですか?」
エリスちゃんがおずおずと切り出してきた。そういえば二人のことは紹介したけれど真崎さんのことは紹介していなかった。
「この人は真崎楓さん。私の担当をしてくれている人なの」
 私が紹介をすると真崎さんはにっこりと微笑んで、よろしくねと二人に挨拶をした。優しげな表情、恐らく万人が好感を受けるであろうその雰囲気、まさに白衣の天使そのものであった。
 エリスちゃんも初対面の緊張感が薄れ自然体で向き直っていた。可奈先輩は流石というべきか、持ち前の社交性から快活に挨拶を返していた。
「真崎さんは朋子ちゃんとはいつからの知り合いなんですか?」
「そうね、朋子ちゃんが小学校のときからかしら。一度北海道のほうへ療養へ行ったけど、それ以外はずっとここにいたわね。
 療養先が良かったのか知らないけど、帰ってきたときはすごく機嫌がよかったから良く覚えてるわ」
「北海道の病院……ですか……」
「…………」
 とたんにエリスちゃんと上倉先生の表情が曇る。
 しかしそれも一瞬のこと、すぐに先ほどと変わらぬ表情に戻り私の昔話を聞きだしている。
 恐らくエリスちゃんも昔のことを思い出していたのだろう。
 幼い頃事故にあったという話。赤い色が苦手だという話。
 きっと語りつくせないほどの物語があるのだろう。今の彼女を形作る大切な思い出。上倉先生との時間。それは私が立ち入っていい物語ではなく、ましてや消していいはずなど無い。
 良かった過去も、悲しかった過去も。思い出すのが辛くても恥ずかしくてもどう思おうとも、それらを否定することなどあってはならない。見つめたうえで生きていくしかない。だから今は自身を思い出す上でも、恥を忍んで過去を振り返ろうではないか。
 半ば諦めながら真崎さんの語る昔話に耳を傾けた。



 時間が過ぎるのはあっという間だった。気がつけば既に予定時刻を回っており、みんなはまた明日と言って病室から出て行った。
 明日――私が退院する日。話の流れからすると来てくれるということなのだろうか。
 私はベッドに横になったままぼんやりと考えていた。
 真崎さんは私の様子をメモし、流れるように採血を済ませた。
「ねえ、真崎さん。退院するんだよね、私……」
「何? ここに永久就職する気でいたの?」
 腕をしめていたゴムを外しながら苦笑を零す。
「そうじゃなくて……ほんの一ヶ月前までは考えなかったことだから。なんか実感がなくて」
「そうね。私も朋子ちゃんが急に手術を受けるって言ったから驚いたわ」
「でも準備はしてたんですよね。それもずっと前から」
 数年間私の我が侭に付き合ってくれたこの人たちになんと言っていいのだろうか。
 ありがとうございます? 感謝してます? 命の恩人です?
「別にお礼の言葉なんて要らないわよ」
 真崎さんは小さく声を出して笑った。私の考えを見透かしたように答え優しく頭に手を載せた。
「別に不思議がらなくてもいいでしょ。一体どれだけの付き合いだと思ってるの?」
「でも……真崎さんがいなかったら……」
「はいはい。どうせ明日も聞き飽きるほどお礼を言われるんだから今日はいいわ。それにお礼を言うべき人は他にいるでしょ?」
 そう言われて思い浮かぶのはある一人の姿。他意なく差し伸べられたその手。
「私が何年も努力して成しえなかったことを、たった一月の間で変えちゃったのよ? どれだけ朋子ちゃんが必要としているのか分かってるし、想っているのかだって伝わってくる」
「…………」
「だからお礼をしたいのだったらまず朋子ちゃん自身が幸せになりなさい。それが一番の恩返しよ」
「…………はい」
 退院して、学校へ行って。何気ない日常生活かもしれないがきっと今までとは違ったものが見えるのだろう。友達ができるかどうかは分からない。けれどエリスちゃんがいるから寂しくはならないだろう。可奈先輩だっているし、それに――――
 部活に入ってみるのもいいかもしれない。文科系の部活ならば大丈夫だろう。今までやったことのないものに挑戦してみるのもいいかもしれない。
 そんな些細なことでさえも、私の幸せに繋がるのだろう。
「なんだか、急にやりたいことが増えてきました……」
「それが普通なのよ。やりたいことがたくさんあって、時間が足りないと思って、その中から自分にとっての一番を見つけなさい。きっとそれが朋子ちゃんの時間を輝かせてくれるわ」
 薄っすらと、涙が滲んできた。
 今までの自分はなんだったんだろうか。こんなにも楽しみなことがたくさんあるのに、私はその貴重な時間を数え切れないほど浪費してきてしまった。
 だからといって後悔することなど無意味だろう。それよりも明日を、今を、どう大切に過ごすべきか。誰と過ごすべきか。考えなくてはいけないだろう。
 私はそっと目を閉じた。
 遠ざかる足音を聞きながら大きく、静かに呼吸をする。
 緊張、期待、不安、喜悦。交じり合った感情が私の中を満たしていく。誰しもが持つその思いを、私は初めて感じたのかもしれない。
 ならば今日が私にとって一種の区切りなのかもしれない。
 新たな自分への一歩。
 昨日より今日が幸せであるように。
 今日の私が明日にはより幸せであれるように。
 できる限りの努力をしてみよう。





 区切りの物語。節目を向かえ、環境も感情も移り変わっていく、今回はそんなお話。

 ホントは昨日(おととい?)のうちに更新しようと思ったんですけど、どうにも上手くまとめれなくてなかなか進みませんでした。無理やり終わらせた感が否めませんが、次回のために終わらせておいてください。

 とりあえずバレンタインSSを書きます。内容はD.C.兇膨戦です。何でかって言うとその場の思い付きですwww
 SHUFFLE!でもよかったんですが、とある人がいまSSを書いてるようなんでかぶらないように。
 ついでにFate/Zeroがアツいよ……。文章力の違いに愕然。まあ比べること自体がおこがましいんだけどね↓

 でもいいとこは奪っていくんでヨロシク〜(*´∀`)/


(次回予告は筆者急病のため休止させていただきます)






テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

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